山口県萩市 深江九郎(富樫分周)墓所

松下村塾の塾生の殆どは防長出身者ですが、
唯一安芸国の出身者がいました。
それが富樫分周という加計の医家の子で、
広島の儒学者坂井虎山に師事した後に、
柳井の勤皇僧月性に学んでおり、
その伝手から松下村塾に入門しています。

今回はその富樫分周の墓所を訪問。

富樫分周の墓所への入口。
江崎本町交差点より南東方向の坂を登り、
消防団の倉庫の向い側辺りが入口。
民家横の路地の奥を山側に登ると、
竹藪に小規模な墓地があります。


内外科醫師 深江九郎墓」。
富樫文周は安政5年に松下村塾に入門。
半年程度松陰に学んだようですが、
その後に長崎で医学を学んで郷里に戻り、
開業して妻子を得ていました。
何時頃からか深江九郎と改めており、
妻子を残して江崎に寄留していましたが、
明治26年に46歳で死去。
この寄留については謎ですが、
へ行く途中の江崎で病を得て、
そのまま亡くなってしまったのかもです。

■関連記事■
山口県萩市 萩松陰神社
 境内に松下村塾が現存しています。
山口県柳井市 妙円寺/月性関連史跡
 富樫が学んだ月性の関連史跡。
山口県萩市 江崎浦
 富樫は江崎に寄留して病死。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です