山口県萩市 西法寺/前原一誠供養塔

明治9年にで挙兵した前原一誠らは、
県庁襲撃の計画が察知されたことを受け、
東上して天皇へ直訴する事とします。
越ケ浜より海路で東京を目指しましたが、
悪天候の為に江崎浦に寄港。
そこで近親者処罰の虚報を聞いた為、
急いで萩に戻りました。
しかし萩では政府軍が待ち構えており、
市街で激しい銃撃戦となってしまいます。
前原ら幹部は東上の決意し、
小倉信一有福洵允に軍を任せて離脱。
再び東上の為に海路を進みますが、
出雲宇龍浦で通報されて捕縛されており、
萩に送られて斬首されてしまいます。
前原らを乗せていた船頭達は、
彼らの斬首を聞いてその最後を悲しみ、
丘の上に供養塔を建立したという。

その供養塔は後に西法寺に移されています。

西法寺」。
下田万にある真宗本願寺派の寺院。
由緒はわかりません。
訪問時は大晦日だった為か、
紅白の提灯が飾られていました。


南阿弥陀佛」。
本堂横にある前原一誠の供養塔。
正面には[南阿弥陀佛]と刻まれています。


[米原一清]と刻まれた側面。
十月十八日七月七日と刻まれてますが、
何を示す日かわかりません。
本名で供養塔を建てるのが憚られた為、
[米原一清]と刻まれた模様です。

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