前原一誠は神風連の乱に呼応し、
明治9年10月28日に萩で挙兵。
約200名で県庁襲撃を計画しますが、
この動きは事前に察知された為、
方針を転換して山陰道を東上します。
しかし虚報によって萩に戻り、
政府軍と萩で交戦しますが戦況は悪く、
状況を打開する為に幹部5名と共に離脱。
東京に出て天皇に直訴しようとしますが、
時化で宇龍浦に入港しました。
彼らは庄屋藤村宅に宿泊しますが、
通報されて捕らえられてしまいます。
「前原一誠之碑」。
日御碕コミュニティセンター横の階段上に、
ぽつんと建っています。
この碑は昭和29年に建てられたもの。
はじめは前原らが捕らえられた後、
一夜を過ごした宿の裏手に建立され、
後に二転三転して現在地に移されました。
捕らえられたのは前原以下、
幹部の奥平謙輔、佐世一清、
横山俊彦、山田頴太郎、
従者白井林蔵、馬来木工の7名とのこと。
彼らは松江に護送された後に萩に移され、
萩に残って反乱軍を指揮した小倉信一、
有福洵允と共に処刑されています。
■関連記事■
・山口県萩市 弘法寺/前原一誠墓所
萩にある前原一誠らの墓所。
・山口県山陽小野田市 前原一誠旧宅址
幼少期の前原一誠が過ごした旧宅跡。
・山口県萩市 前原騒動慰霊碑
萩の乱の慰霊碑。