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つづき。
「拝殿」。
銅の鳥居を越えて正面にある拝殿。
昭和34年に再建されたもので、
以前の拝殿は昭和28年に焼失しており、
尼子経久が造営したものでした。
「八足門」。
拝殿の後ろは瑞垣に囲まれた本殿で、
一般の参拝はここまで。
その正面の八足門前で拝礼します。
出雲大社の拝礼作法は二礼四拍手一礼で、
通常より拍手は多いのですが、
例大祭では二礼八拍手一礼をするらしい。
「本殿」。
側面より撮影した本殿。
現在の本殿は延享元年(1744)の造営。
かつては48mの高層神殿であったようで、
更に昔には96mもあったとされます。
出雲大社も伊勢神宮等と同様に、
遷宮が行われるのですが、
こちらは屋根の葺き替えが行われるのみで、
建物はそのまま使用されるとのこと。
国宝建築物です。
もう一枚。
木造本殿建築としては国内最大規模で、
大社造と呼ばれる最古の様式。
その特徴は切妻、妻入構造で、
九本の柱が田の字型に配置され、
正方形の間取りとなっているとのこと。
大国主神の鎮座する御神座は、
その正面向かって右側奥にあるようで、
入口正面ではなく西を向いているという。
「文庫」。
寛文7年(1667)建立の国書館建物。
本殿向かって右後ろにあります。
水戸藩2代藩主徳川光圀は、
貞享2年(1685)大日本史の編纂の為に、
佐々木介三郎を派遣しました。
※水戸黄門の助さんのモデル。
介三郎は文庫に訪れたと考えられており、
光圀は自ら公募した公卿補任補闕を、
後にこの文庫に奉納しています。
「素鵞社」。
本殿真裏にある素戔嗚尊を祀る末社。
素戔嗚尊はヤマタノオロチ退治で知られ、
大国主神の親神であり、
天照大神の弟神でもあります。
本殿と八雲山との間に唯一鎮座する社。
「彰古館」。
大正3年建立の宝物展示施設。
神社の宝物を拝観する事は、
江戸時代からあったようですが、
常設展示する神社博物館としては、
この彰古館が最初とのこと。
現在は神祜殿で宝物の展示しています。
荒垣を西側から出て神楽殿へ。
「神楽殿」。
本殿とは別に大国主神を祀る神楽殿。
正面の大注連縄は長さ約13メートル、
重さ5.2トンに及びます。
以前は多くの賽銭が挟まっていましたが、
現在は網が掛けられており、
賽銭が挟めないようになっていました。
これにて出雲大社参拝は終了。
参拝後は神門通りを抜けて道の駅へ。
途中に出雲阿国像があります。
「出雲阿国像」。
出雲阿国は安土桃山~江戸前期の女芸人。
かぶき踊りを創始した事で知られ、
このかぶき踊りが変遷を経て、
現在の歌舞伎となったとされます。
出雲大社の神前巫女であったようで、
文禄年間に出雲大社勧進の為、
諸国を巡回したところ、
その踊りが評判となったという。
男しか演じられない歌舞伎の創始者が、
女性だというのも面白いですね。
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