山陽小野田市の皿山はその昔、
焼物が盛んに作られていました。
天保末期に周防の焼物師が畑土をみて、
焼物に適していると語ったことから、
前原一誠の父佐世彦七が援助し、
登り窯を開いたのが起源とされます。
焼物業は現在は衰退してしまいましたが、
当時の登り窯が残されています。
「旦の登り窯」。
日本舎密製造㈱の硫酸を入れる容器が、
この窯で製造されていました。
現在は使用されていませんが、
文化財として保存されています。
硫酸を入れていた「斗瓶」。
今でいう一斗缶です。
薬事法の改正で陶器が使えなくなり、
斗瓶はその役目を終えました。
登り窯のある場所から坂を下ると、
前原一誠の住んでいた場所があります。
「前原一誠旧宅址」。
前原家に養子に行く前、
郡吏となった父と共に移住した場所。
父佐世彦七は陶器作りを奨励した功労者で、
前原も一時は陶器作りにも従事したという。
※この記事は昔の記事を再編集したもの。
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萩の乱の激戦地だった場所。
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