吉田松陰は嘉永2年6月に、
萩以北の海岸線を巡視しています。
これについて書かれた松陰の日記は無く、
僅かに代官の簡単な報告書が残るのみで、
その詳細は殆ど判りません。
嘉永2年6月28日~7月1日の間で、
松陰は江崎浦と田萬村を巡視したらしい。
江崎浦には松陰が宿泊したと伝わる家もあり、
現在も漁港として残りますが、
田萬村については下田万と上田万があり、
正確な位置は判りません。
松陰はこの巡視の後に北浦巡視を行い、
[廻浦紀略]でその詳細を記していますが、
その傾向から海沿いの巡視が主である為、
田萬村も海沿いの下田万村と推測。
その周辺を訪問してみました。
「下田万の集落」。
田万川河口東側にある集落。
意外に広い場所のようですが、
山際に古い家屋が集まっている為、
たぶん埋め立てで整地された模様です。
田万川河口周辺。
こんな感じだったのではないでしょうか?
砂州も無かったかもしれません。
「田万川河口」。
現在の河口西側は砂州となっており、
大量の海砂が集まっています。
記録が無いので想像するのみですが、
松陰はこの田萬村を巡視して、
どのように感じたのでしょうか?
そしてどんな防御策を巡らしたのでしょう?
山口県萩市 下田萬村
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