串良麓はかつては串良院と呼ばれ、
島津家と肝付家が争っていた場所。
天正4年(1576)に島津家の領地となると、
島津忠長(宮之城家2代)に与えられました。
慶長4年(1599)には直轄地へと変わり、
藩は地頭を派遣して地頭仮屋を建設。
天明4年(1784)には困窮した甑島の郷士が、
藩に移住を申し出て許されており、
48家が串良麓の有里村に移住。
手付かずであった富ヶ尾が開拓され、
串良麓に大きな収入をもたらしました。
「串良地頭仮屋跡」。
地頭仮屋は現在の串良小学校の敷地で、
その前面の串良総合支所前には、
正門や石塀、橋と堀が現存しています。
「堀跡」。
串良麓は1万8000余石は産出しており、
志布志麓や根占麓と同じく大之郷でした。
これを支えたのは串良の郷士達で、
移住してきた甑島の郷士と共に、
領内で積極的な開拓を行ったようです。
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