茶貿易で財を築いた女商人大浦慶の墓所。
油商大浦太平次の娘に生まれた慶は、
傾いていた家業を立て直す事を誓い、
日本茶の貿易に乗り出します。
嘉永6年に通詞品川藤十郎の尽力を得て、
独商人テキストルに嬉野茶を託し、
イギリス、… 続きを読む
長崎県長崎市 大浦慶墓所
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茶貿易で財を築いた女商人大浦慶の墓所。
油商大浦太平次の娘に生まれた慶は、
傾いていた家業を立て直す事を誓い、
日本茶の貿易に乗り出します。
嘉永6年に通詞品川藤十郎の尽力を得て、
独商人テキストルに嬉野茶を託し、
イギリス、… 続きを読む
小曽根乾堂は長崎屈指の豪商で、
坂本龍馬の支援者として知られますが、
他にも詩や書画、月琴や陶芸の他、
篆刻の才に優れていたようです。
小曽根家の代々墓所は晧台寺墓地でしたが、
乾堂の墓は市街より南の大平寺墓地… 続きを読む
大洲市の中心部は内陸にありますので、
大洲藩は内陸の藩だと勘違いしがちですが、
意外にも長い海岸線を持つ藩でした。
城下を流れる肘川は瀬戸内海へと注ぎ、
その河口にある長浜が藩に整備され、
城下の外港として機能し、
御船手奉行、大目付… 続きを読む
壽永寺に国島六左衛門の墓があります。
一度目の訪問では墓を見つけきれず、
嘉永寺の住職さんに案内して頂き、
5年ぶりにやっと参拝ができました。
「國島歴卋墓」。
大洲藩士国島六左衛門紹徳の墓。
国島は大洲藩で郡中奉行を務めた人物で、
心極流、… 続きを読む
下関は壇之浦の戦いのあった地で、
栄華をほこった平家が滅び、
一緒に京から落ち延びた高級女官らが、
平家が滅んだ後に数多く残されました。
宮中で暮らしていたこれら女官達は、
この地で生きる術を持たず、
春を売るより他はありません。
そんな彼女らが春を売ったのが稲荷町で、
彼女らは漁師相手の遊女… 続きを読む
禁門の変で直接戦火を交えた薩長両藩。
この両藩を和睦させる為に、
筑前勤皇党(福岡藩)の月形洗蔵らや、
土佐脱藩の坂本龍馬、中岡慎太郎が奔走し、
桂小五郎と西郷隆盛の直接会談の場が、
赤間関で設けられることになります。… 続きを読む
文久3年4月3日。
当時軍艦奉行であった勝海舟は、
海岸砲台検分の為に紀州藩を来訪。
加太~和歌浦の海岸沿いの砲台を、
約30ヶ所も検分しています。
この検分の拠点となったのが、
両替商を営む清水平右衛門邸とのこと。
「勝海舟寓居地… 続きを読む