坂本龍馬は下関での滞在中、
本陣伊藤家等に滞在していましたが、
ある一時期の間身を隠す為に、
長府藩士日原素平宅に滞在しています。
※正確な滞在時期は不明ですが、
慶応元~3年の間のどこからしい。
「日原素平宅跡」。
西国街道沿いにあった日原素平宅は、
現在2階建のマンションとなっています。
この日原素平という人物について、
資料が見つかりませんでしたので、
どのような人物かわかりませんが、
長府藩内でも三吉周亮や印藤聿等のように、
龍馬の理解者のひとりだったのでしょう。
教育者で実業家の日原昌造は彼の息子。
龍馬は妻のお龍と滞在していたようで、
滞在中には夫婦喧嘩もしていたらしく、
稲荷町に行った龍馬に怒ったお龍が、
龍馬愛用の茶碗を日原邸の庭に投げて、
割ってしまったとされています。
「弐百参拾年前之長府古図(一部)」。
街道沿いの日原の文字が確認出来ます。
新川に架かる橋は八幡橋で城下への入口。
※川の右側が長府城下の前八幡で、
左側は宇都宮八幡宮門前の八幡町。
位置的に日原家は高位ではないようですが、
それ故に身を隠すのに都合が良かった?
「八幡橋」。
近くにある八幡橋(やはたばし)。
現在の橋は昭和5年に架けられたもの。
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