細島港の先にある半島部分に、
古島という名の小さな島が浮かんでおり、
地元では黒田の家臣と呼ばれています。
文久2年にここで3人の遺体が見つかり、
その被害者1人の腹巻には、
平生心事豈有他 赤心報國唯四字
黒田家臣、海賀直求
と書かれていたという。
3人共に片方の手に麻縄が結われており、
嬲り殺しにされたと推測されました。
「古島」。… 続きを読む
「寺田屋事件」タグアーカイブ
東京都港区 青松寺/請西藩林家墓所
青松寺は東京都港区愛宕にある曹洞宗寺院。
江戸曹洞宗を司った江戸三箇寺のひとつで、
※残り二寺は總泉寺、泉岳寺。
太田道灌によって貝塚(現麹町)に創建され、
慶長5年(1600)に現在地に移転しました。
「山門」。
四天王の設置された巨大な山門。… 続きを読む
宮崎県日向市 富高代官所陣屋跡
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九州の幕府天領の多くは、
西国筋郡代によって支配されていましたが、
その広大な支配地域を管轄する為には、
出張代官所を設ける必要がありました。
豊前国に四日市代官所陣屋、
天草に天草代官所富岡陣屋、
そして日向国には富高代官所が置かれます。
「日向市役所」。… 続きを読む
京都府京都市 伏見奉行所跡
伏見奉行所跡を訪問しようと、
JR京都駅から電車で向かいます。
複数の電鉄が通っていますので、
どれで行っても変わりないのですが、
とりあえず一番近い近鉄京都線に乗り、
桃山御稜前駅で下車しました。
伏見は平安期より別荘地として好まれ、
豊臣秀吉が伏見桃山城を築いて以降は、… 続きを読む
田中河内介と怪談
但馬の医師小森正造の次男小森賢次郎は、
幼少から秀才として知られており、
武芸にも秀でていました。
天保6年に儒学者志して上京し、
天保11年に中山忠能に召抱えられます。
後に中山家の家臣田中近江介の養子となり、
田中河内介と改称。
中山家の庶務を取り仕切り、
中山忠愛… 続きを読む