晋作と西郷は会っていたのか?2

ちょっと前に書いた記事
晋作と西郷は会っていたのか?」に対して、
ブログ「郎女迷々日録 幕末東西」の郎女様が、
アンサー的な記事で色々調べて下さいました。
下記がその記事です。

珍大河『花燃ゆ31』と史実◆高杉は西郷と会ったか?
珍大河『花燃ゆ32』と史実◆高杉晋作伝説の虚実

郎女様も「二人は会っている可能性が高い
と結論付けられたようですが、
彼女は面白い推理をされており、
僕はこの推理に納得すると共に、
二人が会っている事を確信した次第です。

郎女様は西郷と諸隊の会合と、
晋作との会合は別件と推理されました。
しかもその際、晋作は身を偽っていたと。

成程それならば伊藤博文税所篤が、
西郷高杉会談を否定した理由が説明できます。

諸隊との会合の場に奇兵隊総督赤禰武人
御楯隊総督太田市之進(御堀耕助)らに混り、
力士隊を率いていた伊藤も居た可能性はある。
伊藤は「西郷に下関で会ったのは自分達で、
そのとき晋作は居なかった
」と思っていた。

諸隊とは別の会合を用意したのは、
月形洗蔵中村円太ら他藩の人間達。
長州人は晋作以外居なかった。
その晋作も偽名を使っていたのですから、
税所篤が「我々は高杉晋作に会っていない
と語ったとしても不思議は無い。

晋作と西郷はやはり会っていたのです。
だた晋作が西郷に、
征長軍を動かさぬように頼んだ」のではなく、
西郷の様子や言動から、
征長軍は動く意思がない事を掴んだ
とも考えられます。

史談会速記第241輯
報効志士早川勇事蹟書(下)」には、
晋作は酔っ払って西郷に、
薯堀爺(いもほりじい)と戯言を言ったという。
西郷も一笑いした。

面白いエピソードじゃないですか?
大村益次郎に「火吹き達磨」渾名をつけたのを、
彷彿とさせますね。

■関連記事■
晋作と西郷は会っていたのか?
 晋作と西郷の会談について。
下関市赤間町 末廣稲荷神社
 稲荷町にあった末廣稲荷神社。
「世に棲む日日(四)」司馬遼太郎
 晋作が他藩嫌いという説はこの小説から。

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