安国寺は壱岐市にある臨済宗寺院。
暦応元年(1338)に足利尊氏と足利直義は、
壱岐にあった海印寺を安国寺に改称し、
元寇以来の戦死者を弔いました。
安国寺は室町時代よりの古刹であり、
多くの寺宝を所蔵していましたが、
そのひとつであった高麗版大般若経は、
平成6年に盗まれてしまい、
後に一部が韓国国内で発見されて、
韓国の国宝284号に指定されています。
この事態に日本政府は韓国政府に対し、
その調査を依頼していますが、
韓国政府は個人所有であるとして拒否。
現在も返還はされていません。
酷い話だと思います。
「山門(惣門)」。
天明元年(1781)再建の山門。
安国寺内で最も古い建造物です。
「仏殿」。
安政8年(1779)再興の仏殿。
本尊は延命地蔵菩薩坐像で、
室町時代の作とされています。
「松浦久信夫妻拝塔」。
平戸藩2代藩主松浦久信の拝塔(左)と、
正室松東院(メンシア)の拝塔(右)。
久信は初代藩主松浦鎮信の長男で、
朝鮮出兵に父と共に出陣しており、
7年間朝鮮に駐留して各地を転戦。
父の窮地を救った事もあったという。
関ヶ原の戦いでは西軍として出陣し、
伏見城や安濃津城の戦闘に参加。
本戦で西軍が敗れてはいますが、
父鎮信が東軍に与したことにより、
罪に問われずに家督を継ぎます。
しかし慶長7年(1602)の参勤の途中、
伏見で病を得て病臥。
これを聞いた父鎮信は印山寺の僧らに、
病気平癒の祈祷を命じましたが、
その甲斐なく久信は死去しました。
鎮信は印山寺の僧らに激怒し、
彼らを斬り殺そうとしますが、
これに気付いた僧らは平戸から逃亡。
久信の葬儀が出来る高僧が居なくなった為、
安国寺の松隠和尚を平戸に招集し、
無事に久信の葬儀が行われています。
その縁によりこの拝墓が建立されました。
久信の正室松東院は実名はおそのとされ、
大村純忠の五女であったという。
父純忠はキリシタン大名であり、
おそのも敬虔なキリシタンでした。
舅の鎮信はキリシタン嫌いで、
棄教を何度も迫られていますが、
「信仰を棄てるくらいなら実家に帰る」と、
全く棄教には応じなかったという。
後に幕府が親族の江戸在住を命じ、
松東院は広徳寺に幽閉されており、
そのまま広徳寺で82歳で没しました。
晩年に松東院は棄教したとも、
最後までしなかったともされますが、
肖像画に数珠を持った姿が描かれています。
久信は東京都墨田区の天祥寺に葬られますが、
関東大震災の被害で墓碑は失われた模様。
※天祥寺は非公開の寺である為未確認。
この拝塔が唯一の久信の墓のようです。
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