①/②
つづき。
「乙名部屋」。
カピタン部屋の裏手にある乙名部屋。
日本側の貿易事務や管理を担当する乙名が、
業務の拠点としていた建物。
乙名は出島町人らから選出されていました。
「料理部屋」。… 続きを読む
長崎県長崎市 出島(再訪)②
コメントを残す
福済寺は長崎にある黄檗宗の寺院。
江戸時代初期に長崎に在留した華僑らは、
その死後に悟真寺に葬られていましたが、
後に唐人墓地が整備されて、
そこに葬られるようになりました。
その後に寺請制度が成立されると、
華僑達も寺請証文… 続きを読む
聖福寺は長崎市玉園町にある黄檗宗寺院。
興福寺、福済寺、崇福寺の三福寺に、
聖福寺を合わせて四福寺とされましたが、
長崎奉行に後援された目付寺でもありました。
「… 続きを読む
長崎聖堂跡より100m弱東に行くと、
上野彦馬宅跡の石碑があります。
「上野彦宅跡」。
最初期の写真家上野彦馬の宅跡。
自宅兼撮影所だったようで、
上野撮影局と称して開業した写真館。
彦馬は長崎の蘭学者上野俊之丞の次男で、
日田の咸宜園… 続きを読む
長崎聖堂は本草学者の向井元升が、
正保4年(1647)に創建した学舎と孔子廟で、
始め立山書院と称したこの学舎では、
元升自らが儒学を講じていたという。
その後に元升が京都に行ってしまい、
また寛文3年(1663)の大火に遭った事で、
一時衰退してしまいますが、… 続きを読む
皓臺寺にある砲術家坂本天山の墓所。
大仏殿の近くにあります。
「天山先生坂本君之墓」。
江戸中期の砲術家坂本天山の墓。
天山は高遠藩出身の砲術家で、
大坂に出で砲術家荻野照良に学び、
荻野流砲術を発展させて天山流… 続きを読む