平戸島は北松浦半島の西側にある島で、
日本で21番目に大きな島です。
元々は[ひらの島]と呼ばれていたようで、
[比良の島][庇羅の島]の字が使われました。
やがてその海峡(現在の平戸瀬戸)が、
[庇羅の戸]と呼ばれるようになると、
島も[ひらのと島]と変化して、
平戸島と変わっていったようです。
「平戸島」。
南北32km/東西最大幅約10kmで、
細長い形をしています。
対馬海流の影響で温暖な気候。
人口は北部に集中しているようです。
「平戸大橋」。
鮮やかな朱色の平戸大橋。
九州本島と平戸島を結ぶ唯一の橋ですが、
田平からフェリーも出ています。
「平戸城」。
平戸藩松浦家の居城だった平戸城。
戦国時代に活躍した水軍大名は、
江戸時代に山間に転封させられますが、
※ex.九鬼水軍、来島水軍等。
松浦水軍を率いた平戸松浦家は、
江戸時代を通じて平戸を支配しています。
長崎県平戸市 平戸城跡
平戸湊は南蛮貿易で栄えた港町。
ポルトガルとの貿易から始まって、
オランダ、イギリスとも交易を行い、
湾内には蘭商館、英商館が建てられます。
後の鎖国政策により南蛮貿易は終焉しますが、
その後も南蛮文化は根強く残りました。
「幸橋」。
寛文9年(1669)に平戸藩4代松浦重信により、
木造の橋が架けられて[幸橋]と命名。
後に5代松浦棟が石橋に架け替えており、
[オランダ橋]の別称でも呼ばれたという。
長崎県平戸市 平戸湊①
長崎県平戸市 平戸湊②
また吉田松陰もこの地を訪れています。
長崎県平戸市 松陰関連史跡
「松浦史料博物館」。
最後の平戸藩主松浦詮の私邸跡。
現在は松浦史料博物館となっています。
長崎県平戸市 松浦史料博物館
「オランダ商館通り(崎方町)」。
平戸には古い商家が多く残っており、
今も店舗として営業しているものも多い。
また旗本となった英国人W‣アダムスの墓も、
湾北側の小高い場所にあります。
長崎県平戸市 三浦按針墓所
平戸藩松浦家の墓所へ。
「松浦家墓所」。
雄香寺にある松浦家の墓所。
長崎県平戸市 雄香寺/平戸藩松浦家墓所(再訪)
この他にも最教寺、正宗寺、普門寺に、
平戸藩主の墓所があります。
長崎県平戸市 最教寺/松浦鎮信墓所
長崎県平戸市 正宗寺/松浦隆信墓所
長崎県平戸市 普門寺/松浦熈墓所
南蛮貿易が行われた地ゆえに、
平戸はキリスト教が盛んだった模様。
「平戸ザビエル記念教会」。
モスグリーンの外壁を持つ美しい教会。
昭和6年に竣工されたもの。
平戸は教会と寺院が同時に見える場所で、
独特の風情があります。
これぞ理想的な宗教の在り方ですね。
生月島手前の春日町の集落へ。
「春日集落」。
潜伏キリシタンの里である春日集落。
キリスト教解禁後も独自の信仰を守り、
カクレキリシタンとなっているようです。
長崎県平戸市 春日集落
平戸島の北西には生月島があり、
生月大橋によって結ばれています。
「生月港」。
遠洋まき網漁の本拠地であり、
漁業が盛んな事で知られます。
生月島の名前は遣隋使や遣唐使が、
帰国する際にこの島が見えた事で、
安心して息を付いたことに由来します。
この島も潜伏キリシタンが多かった模様。
「生月千人塚」。
正保の弾圧の犠牲者のものとされる塚。
平戸藩は正保2年(1645)に、
生月島の取り締まりを熊沢作右衛門に命じ、
多くの隠れキリシタンが処刑されます。
長崎県平戸市 生月千人塚
この他に江戸期に栄えた場所では、
平戸湾北側の田助浦があり、
風待ち、潮待ちの港として栄え、
多くの遊女が在籍していたとのこと。
長崎県平戸市 田助浦
長崎県は地域により色濃い特色があり、
それぞれに見どころがありますが、
平戸は特に魅力的な場所です。
今回は平戸の記事を纏めてみましたが、
振り返ってみるとまた行ってみたい。
そう思いました。
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玄界灘に浮かぶ旧律令国の離島。
