壱岐島は対馬と九州の間にある離島で、
その面積は133.8㎢程度ながら、
※宮古島や小豆島より小さい。
壱岐国として国府が置かれていました。
日本神話では伊邪那岐と伊邪那岐の二神が、
最初に生み出した八つの島のひとつとして、
この[伊伎島]が生まれたとされており、
[魏志倭人伝]にも[一支国]として登場し、
朝鮮半島から九州本土に至る中継地として、
古代から重要な島であったという。
中世以降は松浦党の勢力下となり、
その一党である平戸松浦家が支配。
江戸期は平戸藩領となっています。
「郷ノ浦」。
博多埠頭から高速船で1時間程度。
壱岐の玄関口であり市庁舎の所在地で、
宿泊施設や土産物屋、食事処等も多く、
壱岐観光の拠点となっています。
「百合若大臣の鬼退治像」。
昭和橋の中央にあります。
壱岐にはその昔鬼が住んでおり、
人々を困らせていたという。
これを退治する為にやって来たのが、
百合若大臣とその討伐軍で、
鬼の大将悪毒王と5万の鬼が、
これを迎え撃ちます。
死闘の末に大将同士の一騎打ちとなり、
百合若大臣が悪毒王の首を刎ねますが、
悪毒王の首は天高く昇って消えました。
悪毒王は首と胴を繋ぐ薬を取りに行った為、
これを知った百合若大臣は胴を隠します。
やがて帰ってきた悪毒王の首は、
自分の胴が無くなった事に激怒。
百合若大臣の兜に嚙みつきますが、
遂に絶命して首は地に落ちたという。
民芸品[鬼凧]はこの様子を描いたもので、
魔除けの意味があるとのこと。
郷ノ浦より東側へ。
「深江田原」。
島の中央よりやや南東にある深江田原。
長崎県で2番目の広さを持つ平野で、
美しい田園が広がっています。
島とはいえ壱岐は農業が盛んで、
古くから耕作が行われていたという。
律令国たる所以のひとつでしょう。
深江より島の西側にある奇岩へ。
「猿岩」。
壱岐のシンボル的な奇岩。
せっかく壱岐に来たので見ないと。
想像以上に猿でした・・。
これは凄い。見る価値あります。
更に島の最北にある勝本へ。
「勝本浦」。
壱岐の北端にある港で、
対馬から続く朝鮮からの玄関口。
神功皇后が三韓征伐で風待ちし、
元寇では元軍の上陸地にもなっており、
豊臣秀吉の朝鮮出兵では、
兵站基地として機能しました。
江戸時代には朝鮮通信使が寄港し、
平戸藩によりこれを迎接。
長崎県壱岐市 朝鮮通信使迎接所跡
これら全てはこの小さな浦で行われており
古来より重要な港だったようです。
高台にある勝本城へ。
「勝本城跡」。
朝鮮出兵の際の兵站基地として、
豊臣秀吉が対馬と壱岐に城を造らせ、
文禄の役と慶長の役で使用された城。
秀吉の死後に出兵が中止されると、
その役目を終えて取り壊されています。
展望台より対馬が見えるらしいのですが、
この日は雲がかかって見えませんでした。
簡単に壱岐を紹介しましたが、
次回より壱岐の史跡を巡ります。
■関連記事■
・長崎県平戸市 平戸城
平戸藩松浦家の居城跡。
・山口県大島郡 大島(屋代島)
壱岐島より少し小さい。
長崎県壱岐市 壱岐島
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