長崎県平戸市 平戸湊②

①/
つづき。

本町通りを更に進みます。

浦ノ町」。
本町通六ヵ町の一つ。
平戸一番の賑いのあった場所で、
貿易商が軒を連ねた場所とのこと。


吉田松陰宿泊紙屋跡」。
前回訪問の際も記事にした紙屋跡で、
吉田松陰の平戸での拠点となった宿です。
松陰は平戸で宿がなかなか見つからず、
葉山左内の紹介でここに宿泊しました。
滞在中は葉山の蔵書を借りて読む日々。
アンパンマンの石像は未だ健在です。

道は東に曲がり少し進んだ十字路を左へ。
山麓にある松浦史料博物館へ。

松浦史料博物館」。
最後の平戸藩主松浦詮の私邸跡。
現在は松浦史料博物館となっています。
ここについては複雑な話がありますので、
別記事とする事とします。

十字路へ戻り東側へ進む。

オランダ商館通り(崎方町)」。
十字路を東に行くと崎方町
道の先にオランダ商館があった為、
[オランダ商館通り]と名付けられました。
異国との貿易を求めるの商人が、
多く住みついていた町だったという。
現在も町屋が軒を連ねて雰囲気があり、
今も店舗として営業しているものも多く、
歩いていて楽しい通りとなっています。


オランダ塀」。
崎方町を進むと北側にあるオランダ塀
現存するオランダ商館の塀の一部で、
山手に登る石段に沿っています。
商館を延焼から守る事と、
外から商館内を覗かれない為のもの。


住宅の間から見たオランダ塀。


オランダ埠頭」。
オランダ船の船着場に使用されたもので、
ここからオランダ船に乗り降りし、
積荷の上げ下ろしが行われたとされます。
石段に恵比寿神が祀られることから、
[恵比寿埠頭]とも呼ばれたとのこと。
オランダ撤退後も使われたと思われます。


平戸オランダ商館」。
慶長14年(1609)に平戸に設置され、
平戸での貿易拠点となった商館。
寛永5年(1628)のタイオワン事件により、
一時閉鎖されていますが、
寛永9年(1632)に再開されています。
その後の寛永17年(1640)に取り壊され、
翌年に商館は出島に移転しており、
平戸の海外貿易は終焉しました。
現在の建物は平成23年に再建され、
関係各地から収集された絵図書物
絵画航海用具日用品貿易関係品
武器、その他資料が展示されています。


常燈の鼻」。
本町通りの先にある石積みの高台。
常橙の鼻と呼ばれる平戸湾の先端で、
元和2年(1616)に築造されたもの。
常夜灯が設置されていたようで、
オランダ商館があった時代は、
三色旗(オランダ国旗)が掲げられました。
現在のものは日蘭修好380周年記念事業で、
平成元年に設置されたもの。

平戸はなかなか良い観光地ですが、
長崎の異国情緒というよりは、
藩政時代の雰囲気が残っている感じ。
そっちの方がリアルであるし、
異国情緒は見え隠れする程度が良い。
平戸チャンポンもなかなか美味いし、
また来たいですね。

①/

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