亀丘城は壱岐市にあった城郭で、
永仁2年(1294) に波多宗無が築城しました。
波多家は松浦郡波多郷の岸岳城を本拠とし、
壱岐全島を支配下に収めたとされますが、
重臣日高喜が謀反を起こして岸岳城を奪取。
しかし波多家は龍造寺家の援助を得て、
日高勢から岸岳城を奪還しています。
敗れた日高家は壱岐の亀丘城を本拠とし、
後に日高家は平戸松浦家に従属。
壱岐は平戸松浦家の領地となりました。
亀丘城は壱岐支配の拠点として、
平戸から城代が派遣されていたようで、
城代館が三ノ丸に置かれたとのこと。
※武生水陣屋と称したようです。
「亀丘城跡」碑。
本丸部分は[亀丘公園]となっており、
その入口に跡碑は建てられています。
「二ノ丸跡」。
光ネットワーク壱岐支店の駐車場が、
亀丘城の二ノ丸だったとされます。
亀丘公園は螺旋状になっていますが、
旧態は留めていないとのこと。
なんとなく土塁っぽい部分もありますが、
往時のままのものであるかは不明です。
「本丸跡」。
頂上部には[〇〇久太郎頌徳碑]がありますが、
これは地元の功労者のもののようで、
城とは余り関係がないようです。
「本丸石垣」。
本丸北側には石垣が残っており、
これが唯一の遺構であるとのこと。
「三ノ丸跡(?)」。
城代館(武生水陣屋)が置かれた三ノ丸は、
玄海交通レンタカーの駐車場辺りか?
この写真を撮影した位置に稲荷社もあるし、
それらしい空間はここだけのようです。
江戸期を通じて城代館は存在しており、
武生水陣屋とは称していたようですが、
廃城したという明確なものも見当たらない。
壱岐国は一応立派な律令国ですし、
亀丘城を壱岐国一城としても良いはずです。
とはいえ幕府に認められた形跡もなく、
なんとも微妙な立ち位置の城。
幕府からすれば離島の小規模な城ですし、
どうでも良かったのかもしれませんね。
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