吉田松陰墓所近くに松陰誕生地もあります。
松陰の祖父杉七兵衛常徳の時代、
城下にあった杉家の屋敷は火災で全焼。
仕方なく団子岩の山荘に移住しました。
※この山荘は藩士で俳人の八谷聴雨の別荘。
樹々亭と呼ばれていたようですが、
これは田上菊舎が名付けたもので、
購入資金は松陰の母瀧の実家の… 続きを読む
山口県萩市 吉田松陰誕生地
コメントを残す
吉田松陰墓所近くに松陰誕生地もあります。
松陰の祖父杉七兵衛常徳の時代、
城下にあった杉家の屋敷は火災で全焼。
仕方なく団子岩の山荘に移住しました。
※この山荘は藩士で俳人の八谷聴雨の別荘。
樹々亭と呼ばれていたようですが、
これは田上菊舎が名付けたもので、
購入資金は松陰の母瀧の実家の… 続きを読む
和久浦は戸数60戸程の漁村だったようで、
この浦で採れる雲丹は品質が良く、
宝暦元年の頃より15~60歳迄の漁師は、
毎年4月中旬に塩雲丹三合を上納したという。
「和久浦」。
小さな漁港には小舟がちらほら。
近くにある道の駅北浦街道ほうほくの北側に、
少し大きな漁港が整備されていますので、
そちらの方に漁船が碇泊しているようで、
こっちの小さい港はウニやサザエ… 続きを読む
矢玉浦は古くは大物ノ浦と称しましたが、
蒙古襲来の際に浦の者が矢や玉を献上し、
それ以降は[矢玉]と呼ばれたという。
それ程大きくない漁村でしたが、
江戸時代中期以降より海運業が盛んに行われ、
赤間関街道北浦道筋の宿場にもなって、… 続きを読む
吉見浦は古代からの港町であったとされ、
神功皇后がこの浦の風景を見て、
「良き眺め」と言った事から、
吉見と名付けられたと伝承されています。
塩造りが盛んであったようで、
浦の北側に広がる永田の平地には、
中世より塩田が広がっていたという。
下関市吉見周辺。
左右が小高い岬に囲まれており、
※左側が網代山… 続きを読む