①/②/③/④/⑤/⑥/⑦/⑧/⑨
つづき。
一、3月17日、晴。
卯時、①城を出発。
姫路と市川の間に固寧倉が2つある。
※姫路藩の非常用食糧備蓄用倉庫。
名よりも実を知るべし。
舟にて市川を渡り石寶殿を観る。
兵庫県高砂市 石の宝殿
午前、舟にて加古川を渡る。
老臣河合如水在職の時に堤防を修むという。
※姫路藩家老河合寸翁。
明石城中を経て②大蔵谷に宿す。
驛側に人丸社があり碑が建っている。
曰く[明石城主松平日向守源信之立つ]。
姫路以東は山は遠く道は開けている。
平田が続きに茶麦は青黄なり。
もうすぐ帝京だとのこと。
一、3月18日、曇。
卯時、大蔵谷を発す。
1里程行くと海辺の松林に巨砲一門がある。
砲台や砲床は無かった。
砲筒の長さは一丈余り。口径は三寸半強なり。
この地は淡路島との距離1里ばかりで、
これに相対持している。
海峡を左に行けば紀国の南海に向かい、
海は広く続いている。
しかし右は鳴門の渦で容易に進めない。
故に船は皆ここから内海に入るという。
巨砲の設置は地の利を得たものである。
播州から摂津に入りを一谷の麓を過ぎる。
平氏の築いた砦跡で源氏が攻めた場所。
詳しいことは判らないが、
その険しさから当時を伺い知れる。
③兵庫に至りて食事。
この地は大店が並び繁盛しているようで、
船舶も港に多く碇泊している。
風俗華奢なのは大坂が近いからだろう。
湊川に至り楠公の墓に参拝。
遥かに摩耶山を望んで阿保親王廟前を過ぎ、
④西宮驛に宿す。兵庫、西宮の際、
造酒屋が沢山あることに驚いた。
また多くの牛車を見る。
この日、驛で休憩しているところに、
藩公が病で兵庫に留まるとの報が来た。
驚いた藩士達は我先に、
各自で駕籠に乗って兵庫へ向かった。
吾輩は西宮に留宿していたが、
心配で仕方ない。
一、3月19日、雨。
藩公の病は癒えたとの報が届き、
駕は兵庫を出発したという。
羊前に駕は西宮に至った。
駕に従いて出発し、
武庫、池田のニ川を渡り、
⑤郡山に宿泊。行程6里。
大阪府茨木市 郡山宿跡
皆平坦な土地で道は砥石の如し。
雨が降って寒く泥で滑って難渋したので、
観たり聞いたりは出来なかった。
3/17~3/19の行程。
つづく。
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