湊川神社は神戸市中央区にある神社で、
楠木正成を主祭神としています。
正成は醍醐天皇の求めに応じて挙兵し、
鎌倉幕府の倒幕に貢献した武将。
後に足利尊氏が反乱を起こすと、
新田義貞と共にこれを退けましたが、
尊氏が九州で勢力を盛り返して攻め上ると、
これを港川で迎え討ちましたが、
敗北して自刃しています。
正成は江戸期に忠臣として評価され、
徳川光圀が高く評価したこともあり、
後に水戸学等で深く崇敬。
幕末の尊皇思想では精神的支柱となって、
頻繁に祭祀されるようになりました。
やがて元尾張藩主徳川慶勝の建白により、
明治元年に明治天皇の詔勅が下され、
明治2年に湊川神社が創建されました。
「湊川神社」。
墓所や殉節地を含む約7680坪を境内地とし、
楠木正成(大楠公)を主祭神として、
子息の楠木正行(小楠公)、弟の楠木正季、
その他一族16柱が配祀されています。
写真は表神門で昭和17年の建立。
「楠木正成公御墓所」。
表神門の右側にある墓所入口。
こちらから正成の墓地へ行けます。
「嗚呼忠臣楠子之墓」。
楠木正成の墓。
寛永20年(1643)に尼崎藩2代青山幸利は、
領地巡回の際に坂本村に立ち寄り、
そこで梅(埋)塚という小さな墓を見つけ、
誰の墓かと地元の民に尋ねたところ、
それが楠木正成の墓だと聞いて驚き、
正成の為に五輪塔を建立。
後の元禄5年(1692)に徳川光圀によって、
現在の墓碑が建立されました。
青山家は後に転封となりますが、
代わって尼崎藩に入った桜井松平家も、
歴代当主が石燈籠を寄進。
他にも正茂を崇敬する者達の手により、
幾度も整備が行われたようです。
「徳川光圀像」。
正茂の墓の右手前にある徳川光圀の銅像。
昭和37年に建立されたもので、
人間国宝平櫛田中によるものとのこと。
光圀は墓碑建立者ですので、
その功積を顕彰して建立されたようです。
墓碑の建立には光圀の他に、
助さんのモデルで知られる佐々介三郎が、
実際の建立実務を総括しています。
墓所を出て湊川神社参道へ。
「参道と大鳥居」。
大鳥居は阪神淡路大震災で倒壊し、
現在のものは後に再建されたもの。
この大鳥居は一見石造のようですが、
実はステンレス造の耐震構造とのこと。
「拝殿」。
社殿は昭和20年の神戸空襲で焼失。
現在の建物は昭和27年の再建です。
拝殿の左側より殉節地へ。
「殉節地」。
楠木正成一党が自刃した場所。
湊川の戦いで正茂は新田義貞と共に、
九州から攻め上る足利勢を迎え撃ちますが、
形勢不利の中を奮戦し続けたようで、
ついに力尽きてここにあった民家に入り、
一族郎党と共に自刃して果てたとされます。
湊川神社自体は明治初期の創建で、
幕末期には存在しませんでしたが、
多くの志士が正茂の墓所を訪れました。
知っているだけでも吉田松陰、坂本龍馬、
河合継之助、真木和泉、横井小楠、
日柳燕石、久坂玄瑞、新島襄、勝海舟、
七卿、桂小五郎、伊東甲子太郎等々・・。
他にも多くの志士らが訪れた事でしょう。
●著名な神社、神宮
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・東京都千代田区 江戸城西ノ丸下
皇居前広場に楠木正成像があります。
