大蔵谷宿は西国街道の7番目の宿場で、
京都側からは明石城の手前に位置し、
旅籠が約60軒もあったという。
明石城南東周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが大蔵谷宿跡。
東側から散策。
「大蔵谷宿跡」。
街道沿いの家々は更新されており、
面影は少なくなってはいますが、
当時の家屋をリフォームしたと思われる家も、
いくつか点在しています。
「大蔵会館」。
脇本陣竜宮屋住野重次郎邸や、
脇本陣石井夘右衛門邸があった辺りで、
両脇本陣は隣接していたようです。
向いには本陣広瀬治兵衛邸がありましたが、
只の駐車場だったので写真は撮ってません。
文久3年に広瀬家から住野家に本陣は移り、
明治維新に至ったとのこと。
「桝形」。
突き当りで大きな桝形となりますが、
大蔵谷宿はここまでのようです。
これは明石城の町割りの影響でしょう。
「大日本中央標準時子午線通過地識標(左)」、
「左 ひやうご 大坂道/
右 加古川 ひ免ぢ道 道標(右)」。
桝形の角にある2つの標柱。
明石市は東経135度線が通る市で、
始め政府は伏見を基準地点としましたが、
明治19年より子午線を基準とすることとなり、
子午線の街として知られるようになりました。
道標の方はよくあるもので、
慶応元年に建立と刻まれています。
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