丹生都比賣神社は紀伊国一宮。
※紀伊国一宮は他に日前神宮と、
伊太祁曽神社があります。
約180社ある丹生都比売社の総本社で、
高野山北西の天野盆地に鎮座します。
空海が金剛峯寺を建立するにあたり、
丹生都比賣神社が神領を寄進したようで、
高野山と古くから深い関係にあったという。
「外鳥居」。
丹生都比賣神社は世界遺産の構成資産。
高野山参拝の際には丹生都比売神社に参拝し、
それから町石道を登るのが習わしとのこと。
丹生の丹は鉱石から採取される朱の意味。
「輪橋(太鼓橋)」。
鏡池に架かる輪橋は淀殿の寄進によるもので、
慶長年間(1596-1615)に建立されたもの。
「楼門」。
入母屋造り檜皮葺の楼門。
明応8年(1499)に造営されたもの。
左右に翼廊を従えています。
「本殿」。
第一殿、第二殿、第三殿、第四殿からなり、
それぞれ1柱が祀られています。
第一殿:丹生都比売大神(主祭神)、
第二殿:高野御子大神
第三殿:大食津比売大神
第四殿:市杵島比売大神
国指定重要文化財。
丹生都比売大神は天照大御神の妹神とされ、
稚日女尊とも称される女神。
御子の高野御子大神と共に紀伊や大和で、
人々の為に農耕殖産を導き、
最後にこの地に鎮まったとされます。
播磨国風土記によれば神功皇后征韓の際、
丹生都比売大神の託宣により、
衣服、武具、船を全て朱色に塗ったところ、
神功皇后は戦勝することが出来た為、
応神天皇が社殿と広大な神領を寄進。
元寇では元の襲来の託宣があり、
祈祷を行ったところ元軍が退散した為、
神威を表したとして一躍有名となり、
武家からも多くの寄進を受け、
次第に一宮を称するようになったという。
明治維新の神仏分離により、
高野山からは独立していますが、
現在も高野山の僧侶が参拝しているようで、
神前での読経も行われているとのこと。
訪問時は小雨でしたが、
これが神社の朱色や紅葉を鮮やかにし、
とても美しい光景でした。
■関連記事■
・和歌山県和歌山市 伊太祁曽神社
紀伊国一宮のひとつ。
・和歌山県和歌山市 日前宮
紀伊国一宮のひとつ。