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つづき。
一、4月4日、曇。
卯後、①江尻を発し興津に至る。
江尻、興津の間に清見寺領あり。
それ以外は寺西直次郎の代官支配なり。
※甲府代官所支配のこと。
興津川の仮橋を過ぎて薩陀嶺を越え、
田子浦を過ぎて、由井、蒲原に至る、
これらは皆海浜の地なり。
海に斜めに突出する半島は伊豆である。
富士山の麓を巡り舟にて富士川を渡る。
此の川は富士山を源として海に注ぐ。
水の流れは速い。②吉原に宿泊。
駅前に木柱あり。書して曰く、
[是れより東は江河太郎左衛門代官所]と。
※江川太郎左衛門は韮山代官(世襲)。
夜間、雨。
一、4月5日、微雨。
卯後、吉原を発す。原、沼津を過ぎて、
伊豆国③三島に宿泊。
沼津城は水野出羽守の居る所なり。
※沼津藩7代水野出羽守忠誠。
武田信玄の時に高坂弾正が築いたという。
城外に鹿野川あり険しくなっている。
本月3日、先考の十七忌辰に及ぶ。
※養父吉田大助の十七回忌。
一詩作らん考えて数日が経ち、
やっと作る事が出来たので記す。曰く。
二千里外逆旅人 鳥鳴花落亦傷神
二千里離れた旅籠の人
鳥が鳴いて花が落ちるも心を痛める
況乃四月初三日 遇先考十七忌辰
この四月三日に
先考の十七回忌を迎えた。
先考青年乃大志 欲明経義究武事
先考は青年時代より大志を抱き、
道義を明かにして武事を究めんと欲す
天道無知不仮年 命夫空濺潺湲涙
天の節理を知るなく年を重ね
命虚しく涙を流した
吾曾阿姪為瞑蛉 六歳爲孤太伶仃
我は養子となったが
六歳で一人になってしまった
定省無由悉平生 訓誡何得与趨庭
孝行をすることも出来ず
教えを乞う事も出来ない
奮然担笈何所許 父志方将纘前緒
奮い立って遊学をしたのは
父の志を継がんとする為
成業由来在苦辛 任重道遠肯寧処
業を成す事は辛い事である
任は重く道遠いを良しと考える
独収涙痕詠悲歌 情懐多緒附長嗟
独り涙を流して悲しい歌を詠じ、
思いを巡らしてみる
乃眷西顧墳墓遠 雲山萬畳天一涯
後に西を顧みれば墳墓は遠く
雲や山は重なり合っていた
一、4月6日、曇。
寅後、三島を発す。筥根嶺を登って数里。
後に夜明けが来た。
後を顧みれば沼津や三島が見えた。
左の富士山を観れば半腹以上は積雪。
嶺の頂上に豆相の境界があった。
④箱根驛あり、湖あり、関あり。
嶺を越えて⑤小田原宿す。海浜の地なり。
城あり大久保加賀守の居る所なり。
※小田原藩8代大久保加賀守忠愨。
筥根嶺は上下8里余り、道険しく泥で滑る。
人が倒れ馬が斃れる。
それ故に天險なるものなり。
戯れに小詩を作る。曰く。
風波起平地 荊棘塞通衢
平地に波瀾を起す
険しい道は街道を塞ぐ
誰謂箱根險 請嘗觀世途
誰が呼んだか箱根の険
人の世を見ているようだ
4/4~4/6の行程。
つづく。
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