壇ノ浦の戦いで平家が敗れた為、
平家に仕えたの女官や雑仕女達は、
彦島の平家一門の住居跡や、
漁師の家に匿われて潜んでいましたが、
彼女達は源氏の兵士達の格好の餌食となり、
陵辱の限りを尽くしました。
多くは乱暴を受けた後に殺され、
命を助けられた者も自ら命を絶ったという。
彦島老町にある身投げ岩… 続きを読む
下関市彦島海士郷町 身投げ岩
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壇ノ浦の戦いで平家が敗れた為、
平家に仕えたの女官や雑仕女達は、
彦島の平家一門の住居跡や、
漁師の家に匿われて潜んでいましたが、
彼女達は源氏の兵士達の格好の餌食となり、
陵辱の限りを尽くしました。
多くは乱暴を受けた後に殺され、
命を助けられた者も自ら命を絶ったという。
彦島老町にある身投げ岩… 続きを読む
萩と山口の間の国道262号沿いに、
吉田松陰の記念碑があります。
萩市佐々並中作周辺(東送通過之地碑の場所)
日南瀬川沿いに萩往還が通っています。
「吉田松陰先生東送通過之地碑」。
中国JRバス「中作」のバス停側。
安政6年に松陰は梅田雲浜に連座し、
幕府に召喚されて… 続きを読む
今更ながら本陣伊藤家の記事。
伊藤家は鎌倉時代よりの名家の家柄で、
室町時代、江戸時代には町の大年寄を務め、
町代官も務める指導的立場であったという。
参勤交代で訪れる諸大名の本陣も務め、
※伊藤家は東本陣で、… 続きを読む
萩の松陰神社は吉田松陰の実兄杉民治が、
実家の邸内に土蔵造りの祠を建立して、
松陰愛用の赤間硯と松陰の書簡を御神体とし、
その祠に祀ったのがはじまり。
その後、伊藤博文、野村靖ら門下生が、
宮崎八幡… 続きを読む
吉田松陰は東北遊学の際、
嘉永5年5月16日に石巻を訪れ、
仙台藩士粟野杢右衛門宅を訪問。
※粟野は江帾五郎(那珂通高)の義兄。
粟野宅には江帾が滞在している筈でしたが、
松陰らを出迎えに福島方面に赴いており、
行き違いとなっていた為、
粟野の案内で日和山の登って石巻湊… 続きを読む
青森から宮城への仕事の移動日。
途中にある世界遺産の平泉へ。
世界遺産は胡散臭いと再三書いていますが、
その割に結構足を運んでいます。
世界遺産にはやはり国宝や重文も多いので、
必然的に訪問する事に。
もちろん胡散臭いとはいえ、… 続きを読む