①/②/③/④
つづき。
10月10日。
①大阪より早に舟を発して、
②高砂に到りて泊す。
10月11日。
早に舟を発して③日比に到りて泊す。
※上記2日は舟中泊の模様。
10月12日。
早に舟を発して鞆を過ぎ、
④御手洗に到りて泊す。
長崎紀行の行程③-1。
10月13日 雨。
留泊す。夜、大原屋清三郎を訪問。
清三郎は詩を作って吾に示し、
吾はその韻に次して云はく。
未掃慮氛不吟詩 會因新句得新知
相逢苦口君當恕 豈是嘲花弄月時
意:慮気があっては詩を吟じられない。
新句に接して新しい事を知りなさい。
知り合ってすぐ苦言するが許して欲しい。
花を嘲り月を弄んではいけない。
※詩があまりお気に召さなかったのか、
結構厳しい事を言ってますね。
でも松陰は感情的な詩が多いので、
花が綺麗とか月が美しいとか、
そんな詩を松陰に見せたのでは?
もしそうなら相手が悪かったかも?
もっと国を思うべきだ!とか、
一商人にも平気で言っちゃいそう(笑)。
10月14日。
①御手洗より舟を発し、
②黒島に到りて泊す。
10月15日。
舟を発し家室を過ぎ③室津に到りて泊す。
詩あり。云はく。
歸郷夢斷涕潸々 舟子喚醒是上關
蓬窗勿怪起來晩 去國忍看故國山
意:帰郷する夢を見て目覚めて涙を流す。
舟子が上関の着いたと叫ぶ。
起きて来ない事を不審に思うなかれ。
国を去る前の故郷の山は見るに忍びない。
※上関大橋の袂に詩碑があります。
山口県熊毛郡 吉田松陰詩碑
10月16日。
舟を発し硫黄洋(周防灘)より④鶴崎に達す。
初めより同船した者に豊後の雛僧がいたが、
別れに臨み詩を作りてこれを贈る。
十日同船亦因縁 交浅言深井突然
子是釋徒吾是儒 儒釋異同本天淵
天淵異同措不論 一切佛經陀羅尼
宇々句々要精研 初學要務在誦讀
静座只當如参禪 子以年少苟自安
知否孔聖志學年 血気切勿酒色溺
經営切勿利名纏 生前因縁復相逢
爲子更説孟韓編
意:十日も同船したのも何かの因縁。
交りは浅いが突然深い事を言います。
あなたは釋徒で吾は儒者、
儒教と仏教で異なり天と淵の差がある。
天と淵の違いはあえて語りませんが、
一切の仏教はお経によるもので、
全ての事は修行を要します。
初学の要務は誦読にあり、
正座はただ参禅の如くするべき。
あなたは自分が若いと心配しているが、
聞いてみると孔子が学を志した歳です。
酒色に溺れることのないように、
利益や名声に縛られることのないように。
生前の因縁でまた逢う事が出来れば、
あなたの為に孟子や韓子を講じよう。
夜、毛利到を訪問。
※毛利到(空桑)は熊本藩の儒者。
私塾知来館を主宰していました。
10月17日。
鶴崎を発し⑤古武田(小無田)に宿す。
夜、諸友の夢を見たので詩を作る。
會於夢浦遇知昔 覺見窓檽月影臨
吾歌誰舞唱誰和 獨有乾坤照是心
意:偶然見た夢で旧知に逢う。
覚めて窓にかかる月影を臨む。
吾が歌を誰が舞い誰が唱う
独り乾坤の心を照らしている。
10月18日。
⑥坂梨に宿す。
10月19日。
⑦熊本に達し坪井に宿す。
是の日は二重嶺を越えて阿蘇山を望む。
雲霧濛々として咫釋を辨ぜず。
詩あり。云はく。
東道望富士 三峯白燦々
西道望阿蘇 向背雲漫々
富士恰有清 天愧天下冠
阿蘇何怯懦 見吾乃逃逭
奇哉名山靈 識取英雄漢
意:東道で富士山を望むと、
三峯が日に雪で燦々としていた。
西道で阿蘇山を望むと、
向背に雲が広がっている。
富士山はあたかも清らかで、
天下の冠の名に恥じない。
阿蘇山は何も恐れないようで、
吾はこれ見て恐怖する。
奇なるかな名山の霊、
英雄とはこのような人物だろう。
10月20日。
宮部鼎蔵が来る。一緒に横井平四郎を訪問。
※横井平四郎は横井小楠のこと。
萩角兵衛にも会う。
夜に宮部の宅に行って宿泊した。
10月21日。
矢島源助、莊村助右衛門、國友半右衛門、
今村乙五郎、丸山運介、佐々淳二郎、
湯地丈右衛門、村上鹿之助が来て話す。
10月22日。
宮部と共に横井邸を訪問。終日話す。
夜、村上宅、今村宅を訪問。
10月23日。
横井久右衛門、吉村嘉膳太、木村彦四郎、
廣田久右衛門、岩佐善左衛門、森崎平介、
丸山、佐々、今村が来る。
夜に横井が来る。
10月24日。
丸山、佐々、今村、森崎、野口直之允が来る。
池邉弥一郎や國友半右衛門を訪問。
半右衛門は病気で会えず。
10月25日。
松田、神足、吉村、村上、丸山、今村が来る。
午後に熊本を発す。
松田が送ってくれて高橋に至る。
尾島(小)に至るが舟は出航せず。
長崎紀行の行程③-2。
つづく。
①/②/③/④
■関連記事■
・吉田松陰2度目の江戸遊学①
嘉永6年の江戸への行程。
・吉田松陰の九州遊学①
嘉永3年の九州遊学の行程。
・吉田松陰の北浦巡視①
嘉永2年の北浦巡視の行程。