①/②/③/④
つづき。
嘉永6年9月24日 晴。
①袋井宿を発して②新井宿(新居宿)に宿す。
肥後藩士津田山三郎、河瀬典次に邂逅す。
※津田は熊本藩重臣で京都留守居役。
河瀬は熊本藩士で横井小楠門下。
詩を作りて之を贈る。
云はく。
東下西上客 邂逅荒井亭 一見無他語
千惜日西傾 説出東西事 一嘆叉一驚
東海東夷状 西海西夷情 悲哉尚武國
宴安忝神京 君行六七日 東将入武昌
武昌都會地 世途觀經營 俗士固耽利
才子徒偸名 粉々萬億人 孰期皇道明
吾亦猿遊西 肥豊接豪英 再會定何日
屈指數行程 工程亦邈矣 離合將何常
分手數回顧 難捨心緒縈
意:東に下る客や西へ上る客。
新居宿の旅籠で偶然にも出会う。
最初は別に話す事はなく、
まずは日が落ちるのを惜しむ。
やがて東西の事を皆が話し出すが、
その話で嘆いたり驚いたりする。
東海における東夷の情報や、
西海における西夷の情報。
悲しいかな武士の国である我が国は、
御所を辱めているようだ。
君の行六~七日にして、
東まさに武漢のようになっている。
武昌は都会で世の中の経営をしている。
俗士は利益に走っており、
才子はもっぱら名声を得ようとする。
粉々たる萬億の人、
何れか皇道の明を期せん。
吾れまた去って西に遊び、
肥豊の豪英に接しようとしている。
何れの日にか再開しようぞ、
指を屈して行程を数える。
行程はまた遥かなり、
いつか逢える事はあるだろうか。
別れて色々と回顧すれば、
捨て難からん心緒のめぐりあい。
嘉永6年9月25日。
荒井宿を発し③藤川宿に宿す。
嘉永6年9月26日。
藤川宿を発し④宮宿に宿す。
嘉永6年9月27日。
宮宿を発し⑤桑名宿に渡り宿す。
三重県桑名市 桑名宿跡
森伸助を訪問。
※森は桑名藩の儒者。
松陰は同年5月にも彼を訪ねています。
嘉永6年9月28日。
桑名宿を発し⑥坂下宿に宿す。
三重県亀山市 坂下宿跡
嘉永6年9月29日。
坂下宿を発し⑦草津宿に宿す。
滋賀県草津市 草津宿跡
嘉永6年10月朔日。
草津宿を発し琵琶湖に舟で渡り、
⑧大津宿に達してから⑨京に入る。
梁川星巌を訪問。
※梁川は尊攘派の漢詩人。
後に安政の大獄の捕縛対象となりますが、
捕縛直前にコレラで病死しました。
京都府京都市 天授庵/梁川星巌墓所
嘉永6年10月2日。
朝、禁城(皇居)を拝す。
詩を作る。云はく。
山河襟帯自然城 東来無日不憶帝京
今朝盥嗽拝鳳闕 野人悲泣不能行
鳳闕寂寞今非古 空有山河無変更
聞説今上聖明徳 敬天憐民発至誠
鶏鳴乃起親斎戒 祈掃妖氛致太平
従来英皇不世出 悠々失機今公卿
何日重拝天日明
意:山河襟帯とした自然の城塞、
東より来て帝都を思わぬ日はなかった。
今朝は身を清めて皇居を拝し、
自分のような野人は入れず悲泣する。
皇居は静寂にして今古に例はない、
空しく山河のみあって変わらない。
噂では今上天皇は聡明であるという。
天を敬ひ民を憐れむ至誠を発せられる。
鶏の鳴声で起きて自ら祈り、
妖気を掃って太平を祈っているという。
従来英皇は不世出である。
悠々としてその機を失す今の公卿達。
何れの日にか拝謁したいと思う。
二条城を見てから伏見に出て桃山に登る。
夜舟で淀川を下って⑩大坂に至る。
西下の舟を求めて南波邦五郎を訪問し宿泊。
※同年3月にも邦五郎宅に宿泊しています。
嘉永6年10月3日。
旅亭に至る。舟を待って8日に至る。
嘉永6年10月8日。
舟に上る。しかし舟は未だ出発せず。
夜雨あり。詩を作りて云はく。
狂夫未必不思家 爲國忘家何可嗟
中宵夢斷家何在 夜雨短篷泊浪華
意:狂人だから家を思わないという事はない。
国の為に家を忘れるようにしている。
夜半に目が覚めて家の事を思う。
小船が夜雨に降られる浪華に泊る。
嘉永6年10月9日。
舟にて安治川を下り、天保山の下に泊る。
長崎紀行の行程②
つづく。
①/②/③/④
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