吉田松陰の最初の江戸遊学②

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つづき。

一、3月10日、晴。
卯後、中井次郎右衛門中谷松三郎と、
舟を出して①宮島に渡る。
広島県廿日市市 厳島神社
海程2里余。上陸して神祠を拝し、
古釜を見学、塔岡に登る。
来た道を戻った後に5里、
海田驛に至りて宿泊する。
申後にが至る。驛は大きな店が多い。
※駕は藩主の駕籠。
 藩主に先行して宮島見学したり、
 意外と好き勝手やってます。
 
一、3月11日、晴。
卯後、松三郎と駕に先んじて出発。
驛側に川の水源は上瀬野の大山
海を離れて山に入るが、
常に川沿いを進んで絶險は無し。
嶺を過ぎれば辺りは赤土となり、
深い林等は無し。
山を下れば平田が広がり驛に至る。
これが③西條二十日市でここに宿泊。
日は正に午時。海田より5里半。

一、3月12日、雨。
卯前、驛を発し④本郷に至りて食事。
芸備の境界を過ぎ、
三原の城中を経て糸崎に至る。
舟に乗って薄暮に⑤尾道驛に達す。
二十日市より糸崎は9里、
糸崎から尾道は海陸で2里。
三原城小早川隆景公の築城で、
浅野甲斐がこれに居る。
広島藩一門家老三原浅野家
吾、芸国を観て感じた事は、
風俗の乱れ様に実に哀れむべしと思う。
街に立って飯餅を売る幼い子ら、
道端に跪いて運搬の仕事を取り合う者、
通行人に金品を乞う者ら等、
金に卑しい人々が多い。
この様な国で大丈夫であろうか。
※芸州に非常に手厳しい評価。
 松陰は厳格な武士ですから、
 商売的な風俗は嫌いなのでしょう。


一、3月13日、晴
卯前、驛を発して坂を登る。
坂の上に芸州領、福山領境碑あり。
坂を下りて平田の中を行く事数里。
左に福山城を観て過ぎる。
広島県福山市 福山城
閣老阿部伊勢守の封地である。
※福山藩7代藩主阿部伊勢守正弘
神邉に至って食事。
高屋市驛に至る前に福山領から公料となる。
※公料は幕府直轄領の事。
矢掛驛に宿す。阿部摂津守の封地なり。
※阿部摂津守と記載されていますが、
 矢掛は庭瀬藩板倉家の所領ですので、
 庭瀬藩10代板倉摂津守勝全の間違い?

尾道よりここまで12里11町。


3/10~3/13の行程。

つづく。
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