PC内のDATAを整理した際、
家族で厳島神社に参拝した時の写真を発見。
この事を記事にするつもでしたが、
何らかの理由でしておらず、
写真がそのままPC内で眠っていました。
訪問は平成28年冬の事で5年半前。
かなり古い話にはなりますが、
今回は厳島神社の事を記事にします。
「大鳥居」。
境内の沖合約200mに立つ大鳥居。
春日大社や気比神宮の大鳥居と共に、
日本三大鳥居として知られており、
厳島神社の象徴となっています。
現在の大鳥居は8代目とされ、
明治8年に再建されたもの。
扁額は有栖川宮熾仁親王の筆。
宮島にはフェリーで渡航。
厳島神社のある宮島は厳島とも呼ばれ、
その明確の使い分けは定まっていません。
一般的には島が宮島で神社が厳島のようで、
島を厳島と表現するのは国土地理院と、
歴史の長さや荘厳さを演出する場合だけ。
フェリーを降りると多くのシカが出迎え、
観光客を楽しませてくれます。
宮島のシカは神鹿として神聖視され、
非常に人に慣れているようですが、
増えすぎると色々と問題も出てくるようで、
行政が色々と対策しているとのこと。
「厳島神社」。
厳島神社は推古天皇の時代に創建。
有力豪族であった佐伯鞍職が神託を受け、
宮島の御笠浜に社殿を建てて、
市杵島姫命を祀った事に始まります。
多くの人々に信仰されて徐々に社格を上げ、
平安時代中期には安芸国一宮となりました。
平安末期には神主の佐伯景弘と、
平清盛の親交により平家一門から崇敬。
清盛が現在と同規模の社殿を造営し、
平家一門の隆盛と共に栄えて、
平家の氏神となっています。
壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後も、
鎌倉幕府の庇護を受けていますが、
2度の火災で社殿が焼失しており、
現在のものは仁治年間(1240-1243)の再建。
戦国時代になると社勢は衰えますが、
毛利元就の支配下となった後は、
その庇護を受けて再び隆盛しており、
江戸時代には厳島詣が庶民に流行しました。
明治維新後の廃仏毀釈では、
社殿が仏式であると判断されてしまい、
焼却の危機を迎えますが、
棚守(宮司)の直訴で免れたものの、
旧来復古で彩色が全て剥がされており、
千木と鰹木が新設されます。
※これらは後に復旧されました。
訪問時のみよちゃんは3歳。
ゆきちゃんは生後半年でした。
こんなにちいさかったんですね。
■関連記事■
・福井県敦賀市 氣比神宮
日本三大大鳥居のひとつ。
・下関市一の宮 住吉神社
長門国一宮。