籠神社に参拝した際、
有料駐車場で700円も支払った為、
参拝後にすぐ出て行くのは勿体ないと、
急遽天橋立を歩くこととしました。
天橋立は日本三景の一つ。
宮津湾と阿蘇海を隔てる湾口砂州で、
細い海の道に約6,700本の松が生い茂り、
非常に珍しい風景を作り出しています。
籠神社より南へ歩き天橋立へ。
「大天橋(北砂州)」。
天橋立の北側は陸続きで、
南側は切戸があって途切れています。
この北から南に伸びる砂州が大天橋。
松林の道は幾つか通った事がありますが、
何れも車道だったので歩道は初めて。
往時の街道を歩くのと似ているかも?
延々と松の道を歩きますが、
途中には双竜の松、雪舟之松、夫婦松等々、
名前入りの松が何本かありました。
大天橋の南側は膨らんでおり、
松が多く生えている為か[濃松]と呼ばれます。
「天橋立神社」。
2㎞弱進んだ場所にある天橋立神社。
祭神は豊受大神、大川大明神、八大龍王です。
創建や由緒はよくわからないようで、
籠神社から豊受大神を移したとか、
智恩寺の鎮守だったと考えられている模様。
恋愛成就の御利益があるとされます。
※昭和名水百選[磯清水]がありますが、
それは次の記事と致します。
「岩見重太郎仇討ちの場」。
石見重太郎という剣豪が仇討ちをした地。
広瀬軍蔵、鳴尾権三、大川八左衛門の3人は、
重太郎の父を殺害して逃亡し、
京極家が治める宮津に潜伏していました。
これを見つけた重太郎は京極家の許可を得て、
[濃松]で3人を討って本懐を遂げます。
但しこの石見重太郎は謎の人物で、
薄田兼相と同一人物とされていますが、
薄田は大坂の陣で戦死しており、
仇討ちの寛永9年(1632)と一致しません。
「岩見重太郎試し斬りの石」。
上記の石見重太郎が試し斬りした石。
こんな事したら刃こぼれしてしまい、
実戦で斬れなくなると思いますが、
これはロマンです。
ちなみに籠神社の狛犬が夜な夜な動き出し、
通行人に悪さをしていたようですが、
これを聞いた重太郎は狛犬の前脚を斬ると、
それ以来狛犬は出て来なくなったとのこと。
籠神社の狛犬の前脚が修正されているのは、
重太郎が斬ったからとされます。
石を斬るのが上手だったようですね。
[濃松]を過ぎると橋立は細くなります。
「与謝野寛及び与謝野晶子夫妻歌碑」。
歌人与謝野寛(鉄幹)と与謝野晶子の歌碑。
寛の父は天橋立の東側の与謝郡出身で、
維新後に与謝野姓を称しました。
夫妻は幾度が与謝や天橋立を訪れており、
多くの歌を残したとのこと。
個人的にこの夫妻は余り好きではありません。
なんだか下品な逸話が結構あるので・・。
「大天橋(橋)」。
大天橋を最後まで進むと切戸となり、
大天橋という橋が架かっています。
これを過ぎると小天橋という砂州。
幾つか碑がありましたが割愛します。
「廻旋橋」。
小天橋の西側の水路は文殊水道。
これに架かる廻旋橋は、
その名の通り廻旋する橋のようで、
稼働させて船が通れるようになるとのこと。
現在の橋は2代目で昭和35年製ですが、
初代の橋は大正12年製で手動だったようです。
「智恩寺」。
天橋立の南詰にある臨済宗寺院。
本尊は秘仏の文殊菩薩坐像で、
[日本三文殊]のひとつとされています。
復路はレンタサイクルを借り、
自転車で天橋立を通ります。
往路から借りて置けば楽でした。
■関連記事■
・広島県廿日市市 厳島神社
日本三景のひとつ。