九州の幕府天領の多くは、
西国筋郡代によって支配されていましたが、
その広大な支配地域を管轄する為には、
出張代官所を設ける必要がありました。
豊前国に四日市代官所陣屋、
天草に天草代官所富岡陣屋、
そして日向国には富高代官所が置かれます。
「日向市役所」。
この付近に富高代官所が設けられましたが、
当時の遺構は殆ど残っていません。
富高代官所は、臼杵郡5村、那珂郡15村、
児湯郡24村、宮崎郡2村、
諸県郡4村の租税の徴収及び、
管轄区の司法・行政を行っていました。
「幸福神社」。
日向市役所の南側にある神社で、
元々は富高代官所陣屋の鎮守稲荷として、
京都の伏見稲荷より分霊されたもので、
陣屋の鬼門除けとしたとされており、
代官所の数少ない名残となっております。
明治元年に周辺神社と合祀され、
現在の幸福神社となりました。
「富高陣屋跡」。
境内にある陣屋跡碑。
富高代官所陣屋のあった場所は、
市役所や神社の周辺と推測できますが、
遺構が無いので正確にはわかりません。
出張代官所の陣屋であった事から、
規模も大きくなかったと思われます。
幕末に富高代官所が関わる事件として、
薩摩藩が起こした殺人事件があります。
薩摩藩の粛清事件である寺田屋事件では、
有馬新七ら薩摩藩士の同志討ちの後、
その場にいた他藩の勤皇志士らが投降。
それぞれの所属の藩に引き渡されますが、
引き取り手の無い浪士らは、
薩摩藩で引き取るとの名目で殺されました。
その中の田中河内介の甥千葉郁太郎や、
島原藩士中村主計、秋月藩士海賀宮門は、
薩摩藩士から論戦を仕掛けられた末、
決闘と称して日向岬の細島で降ろされ、
惨殺されています。
彼らの遺体は細島の住人黒木庄八が発見し、
富高代官所に通報されて検死が行われ、
所持品から上記の3人と確定されました。
細島には彼らの墓が残っています。
宮崎県日向市 黒田の家臣
日向国の天領は維新後、
新政府の統治下に入り富高県となり、
富高代官書跡は富高県庁となりました。
その後に日田県に編入されますが、
廃藩置県後は延岡県に吸収された後、
高鍋県、佐土原県と合併し美々津県が誕生。
それから富高代官所跡に県庁が移された後、
都城県と合併して宮崎県となっています。
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