鶴牧藩水野家は沼津水野家の分家で、
初代水野忠位が大坂定番に任じられ、
加増されて諸侯に列した家系です。
次代水野忠定が安房国に北条藩を立藩し、
北条藩として3代続いており、
4代水野忠韶が城主格に昇進。
上総国市原郡及び望陀郡に移封されて、
椎津に陣屋を建設していますが、
その際に地名を鶴牧に改めたようで、
以後は鶴牧藩と呼ばれました。
「鶴牧陣屋跡(姉崎小学校)」。
鶴牧陣屋跡は市立姉崎小学校となっており、
残念ながら遺構は全く残っていません。
「鶴巻城跡」碑。
小学校敷地内にある跡碑。
鶴牧藩水野家は城主格大名であった為、
藩庁は陣屋ながら鶴牧城とも呼ばれます。
幕末の鶴牧藩主3代水野忠順は、
幕政で奏者番を務めた他、
藩政では藩校修来館を創設して学問を推奨。
鳥羽伏見の戦い後に新政府に恭順しますが、
明治元年4月に領内で五井戦争が勃発し、
藩士数名が旧幕軍として参加しており、
5名の戦死者を出しました。
版籍奉還で忠順は藩知事となっており、
藩政改革及び塩田開発を進めますが、
廃藩置県により鶴牧藩は消滅。
新たに鶴牧県が発足されますが、
間もなく木更津県に統合されています。
【鶴牧藩】
藩庁:鶴牧陣屋
藩主家:忠位流水野家
分類:1万5000石、譜代大名
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かつての北条藩の藩庁跡。