徳川幕府が崩壊して新政府が樹立し、
徳川宗家が駿府藩70万石に決定すると、
これに伴い駿河にあった田中藩本多家は、
新政府より安房への移封が命じられます。
藩庁は房総半島最南の地が選ばれ、
長尾陣屋の建設が進められましたが、
明治2年の台風で建設中の陣屋が倒壊。
これにより長尾陣屋の建設が断念され、
三上藩飛地陣屋であった北条陣屋を改修し、
これを新たな藩庁としました。
「稲荷神社」。
本多家の移転に伴い建立された稲荷社。
陣屋を守護するいわゆる陣屋稲荷です。
大砲が社頭に奉納されていたようですが、
大東亜戦争の金属供出で失われました。
「藩主御殿跡」。
稲荷社の南側が御殿だったようですが、
宅地となって遺構はありません。
藩知事本多正訥は明治3年5月に移住し、
同年12月に隠居しています。
2代藩知事は本多正憲が就任しますが、
翌明治4年7月の廃藩置県で免官。
長尾藩は廃藩となっています。
「藩庁跡」。
藩主御殿の南西側にあった藩庁の跡地。
生垣の内は立派な民家となっています。
この周辺は高い生垣の民家が非常に多い。
何かの土地柄かな??
陣屋は上記の稲荷社を北端とし、
南端は諏訪神社辺りまでの大規模なもので、
大手口には枡形虎口もあったとのこと。
【田中藩→長尾藩】
藩庁:田中城→長尾陣屋→鶴ヶ谷陣屋
藩主家:本多三弥左衛門家
分類:4万石、譜代大名
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