安房国の戦国大名であった里見家は、
北条家と関東の覇権を巡って争い、
後の豊臣政権下では9万2000石、
徳川幕府の成立後は12万2000石となり、
安房一国を統治していました。
館山城はその居城でしたが、
2代藩主里見忠義が大久保忠隣に連座し、
事実上の改易処分を受けて廃藩。
旧館山藩領は細分化されており、
安房国は小大名が乱立する事となります。
「八犬伝博物館」。
館山城本丸跡に聳える模擬天守。
南総里見八犬伝の資料が展示されています。
実際はこのような天守はなかったようで、
天守台も発見されていないとのこと。
この南総里見八犬伝は、
江戸後期に著された曲亭馬琴の長編小説。
里見家の娘伏姫の気を宿した8人が集い、
彼らの活躍で里見家が勝利する話とのこと。
読んでいないので詳しく知りませんが、
一昔前にはNHK人形劇も放送されており、
よく知られた話だったようです。
「八賢臣の墓」。
八犬士のモデルになったという八賢臣の墓。
館山城の南麗にあります。
館山藩2代里見忠義は安房国を没収され、
倉吉3万石に減封されます。
しかし倉吉で引き渡されたのは僅か4000石。
更に池田光政が鳥取藩に転封となると、
わずか百人扶持となったという。
後に忠義は29歳で病死しますが、
これに8人の側近が殉死しており、
戒名には全員[心][賢]の字が配され、
八賢臣として称えられました。
八賢臣の墓から更に下り、
館山陣屋があった場所へ。
里見家改易後の館山には、
7000石の旗本稲葉正明が加増を受けて、
1万石となって館山藩を立藩し、
館山城南麗に陣屋を建設しています。
残念ながら住宅地となっており、
遺構らしきものは殆どありません。
「貴美稲荷神社跡」。
稲葉家が陣屋内に建立した稲荷社。
社殿は残っていますが、
御神体は無く遷座しているようです。
「釆女井戸」。
里見家家臣印東釆女邸にあった井戸で、
館山陣屋内で使用されたという。
遺構としてはこれだけです。
幕末の藩主4代稲葉正巳は若年寄を務め、
陸軍奉行、海軍総裁、国内事務総裁等、
幕府要職を歴任していましたが、
鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると、
全ての役職を辞任して隠居。
5代稲葉正善は新政府に恭順しますが、
前藩主が幕府要職を長く務めた事や、
旧幕府軍に合流する藩士も出た為、
新政府軍から詰問を受けています。
館山藩は藩兵を新政府軍に派遣。
箱根や奥羽の戦いに参加しました。
【館山藩】
藩庁:館山藩
藩主家:正成流稲葉家
分類:1万石、譜代大名
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