徳川幕府が崩壊して新政府が樹立し、
徳川宗家が駿府藩70万石に決定すると、
これに伴い駿河にあった田中藩本多家は、
新政府より安房への移封が命じられました。
藩庁は兵学者恩田仰岳の進言により、
房総半島最南の天然の要害の地が選ばれ、
長尾陣屋の建設が開始されます。
土地の狭さと交通の不便さから、
反対を唱える藩士もあったとされますが、
明治2年頃には藩士の移住も始まり、
法界寺には仮役所が置かれました。
しかし同年に台風が建設中の陣屋を襲い、
家屋が倒壊してしまいます。
これにより反対派が藩内で盛り返し、
長尾陣屋の建設は断念されました。
「長尾陣屋跡」。
長尾陣屋跡の殆どが耕地となり、
地形も変化していると思われます。
但し行ってみてわかった事ですが、
確かに山に囲まれた天然の要害で、
防御には適していると思いました。
戊辰戦争も終わったばかり、
新政府が樹立していたとはいえ、
これからどうなるか見えない政情。
結局は何もありませんでしたが、
仮に何かあった場合には、
非常に心強い場所ではあります。
「法界寺」。
白浜町にある真言宗のお寺。
長尾藩の仮役所が置かれたようで、
陣屋建設中には政務が行われました。
【田中藩→長尾藩】
藩庁:田中城→長尾陣屋→鶴ヶ谷陣屋
藩主家:本多三弥左衛門家
分類:4万石、譜代大名
■関連記事■
・千葉県館山市 鶴ケ谷陣屋跡
長尾陣屋建設中止で藩庁となりました。
・千葉県南房総市 杖珠院/恩田仰岳墓所
田中(長尾)藩の兵学者の墓。