500石の旗本平岡道弘は、
将軍御側御用取次役に任じられると、
以後も出世を重ねて若年寄に昇進し、
元治元年10月には知行は1万石に達し、
諸候に列する事となります。
この為に所領船形村に陣屋の建設を開始。
これを藩庁とする事としますが、
幕府が崩壊して新政府が発足し、
徳川宗家が駿府藩70万石に移ると、
全ての領地を新政府に明け渡し、
徳川宗家に随行しています。
この為に陣屋は未完成で破棄されました。
「船形陣屋跡」。
遺構は僅かに石垣が残るのみ。
陣屋跡の敷地は民家や耕地となっており、
見るべきものはありません。
未完成とはいえ政務は行われたようで、
藩主は幕政に関与して多忙であった為、
領地経営は家臣が担っていたのでしょう。
【船形藩】
藩庁:船形陣屋
藩主家:平岡家
分類:1万石、譜代大名
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