会津藩家老西郷家は西郷近房を祖とし、
保科家の並び九曜紋の使用を許された名門。
初代近房は一門家老保科正長の養子となり、
その死後に家督を相続していましたが、
正長の遺児が育って元服した為に、
家督を譲って西郷姓に戻しました。
これを聞いた初代藩主保科正之は、
新たに500石を与えると共に、
保科家家紋の継続使用するよう命じ、
以後は重用されるようになり、
やがて一門家老として抜擢されています。
西郷家墓所は会津若松にありますが、
7代当主の墓が長谷寺にありました。
「會津老職西郷君謹近光墓」。
会津藩家老西郷頼母近光の墓。
会津藩大老となった人物で、
幕末の会津藩家老西郷頼母近悳の祖父。
江戸在勤中に死去した為、
ここに葬られたと思われます。
傍らに頼母近悳の長男の墓があります。
「保科有鄰墓」。
近悳の嫡男保科有鄰の墓。
会津戦争当時は11歳で、
母と姉妹ら21人が自刃する中で、
唯一若松城に入城しており、
父頼母近悳に連れられて若松城を脱走。
仙台を経て箱館へ入り、
父によって沢辺琢磨に託されました。
箱館戦争後の足取りは不明ですが、
明治12年に病死しています。
父近悳は明治3年に保科姓に改め、
保科近悳を名乗っており、
有鄰も保科姓となっていますが、
後に養子の四郎が西郷家を再興。
西郷四郎を名乗りました。
■関連記事■
・日テレ年末時代劇スペシャル「白虎隊」
西郷頼母を里見浩太朗が演じています。