長谷寺の井上馨の墓所の近くに、
三草藩丹羽家の墓があります。
※井上家と三草丹羽家の関係は不明。
「丹羽家先祖代々」。
三草藩丹羽家の累代墓。
歴代の墓が墓地に散在していたようで、
これを整理して旧石を処分し、
新しく累代墓が建てられたようです。
丹羽家といえば丹羽長秀が浮かびますが、
三草藩丹羽家は長秀の系譜とは全く別家。
戦国時代の当主であった丹羽氏次は、
長秀と同じく織田信長に仕えていましたが、
血縁関係はなく本姓も清和源氏で違います。
※長秀以前の系譜ははっきりしておらず、
二本松藩丹羽家は良岑氏の末裔を自称。
氏次は伊保藩1万石の藩主となり、
次代丹羽氏信が岩村藩2万石に加増され、
以後は5代続きましたが、
6代丹羽氏音の代に家中が乱れた為、
これを咎められて高柳藩1万石に減移封。
後に7代丹羽薫氏が三草に転封となり、
以後6代続いて廃藩置県を迎えました。
高柳藩より定府大名であった為、
墓所は国許には存在しておらず、
この墓が唯一の三草藩丹羽家のようです。
※岩村藩時代の墓は岐阜県恵那市に現存。
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