大多喜城は大多喜藩の藩庁。
大永元年(1521)に真里谷信清が築城し、
小田喜城と称したことに始まります。
信清の次代真里谷朝信は、
里見家家臣正木時茂によって攻められ、
小田喜城を奪われており、
以後は正木信茂、… 続きを読む
千葉県夷隅郡 大多喜城跡
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大多喜城は大多喜藩の藩庁。
大永元年(1521)に真里谷信清が築城し、
小田喜城と称したことに始まります。
信清の次代真里谷朝信は、
里見家家臣正木時茂によって攻められ、
小田喜城を奪われており、
以後は正木信茂、… 続きを読む
吉田城は戦国時代初期に牧野古白が、
今橋城を築いたことに始まり、
松平家、戸田家、牧野家、今川家等が、
激しい攻防が繰り返した城でした。
やがて城名は吉田城に改められ、
東三河における最重要戦略拠点となり、… 続きを読む
高崎は中山道と三国街道の交わる要所で、
徳川家康が関東に移封された際には、
井伊直政を12万石で配しており、
北方の守りを固めさせました。
直政は箕輪城から和田に拠点を移し、
近世城郭を築いて地名も高崎に改めます。
直政は… 続きを読む