南洲墓地にある庄内士族の墓。
薩摩藩江戸藩邸を焼き討ちしたり、
戊辰戦争で新政府軍を苦しめた庄内藩ですが、
敗戦後は比較的軽い処分となりました。
これは西郷隆盛の意向によるものとして、
以後の庄内では西郷を敬愛する者が多く、
西郷が下野して私学校を設立すると、
遥か庄内より2人の士族が私学校に入学。
西南戦争が勃発するとこれに参加し、
薩摩人と共に戦っています。
「羽前国荘内人榊原政治墓(左)」、
「大泉人伴兼之招魂碑(右)」。
榊原政治の墓と伴兼之の墓。
伴と榊原は庄内藩出身の士族で、
西郷が郷里で私学校を設立させたと知ると、
庄内の地から留学してこれに入学。
2人共に非常に優秀であったようで、
私学校は彼らを留学させる事としますが、
西南戦争が勃発してしまった為、
西郷や篠原国幹ら幹部は2人に帰郷を即し、
庄内の為に尽くしなさいと説得します。
しかし西郷を慕う2人はこれを拒否し、
軍勢に加えてくれと嘆願。
断られたら切腹する覚悟であった為、
特別に従軍を許されています。
五番大隊一番小隊に配属された2人は、
熊本城攻撃に参加しており、
田原坂に転戦して政府軍を迎え撃ち、
伴は3月21日の植木の戦いで戦死。
榊原は御船の戦いで負傷しており、
延岡の野戦病院で5月10日に戦死しました。
伴は20歳、榊原は18歳だったという。
因みに伴には齢の離れた兄の鱸成信がおり、
彼は第一連隊第三大隊第二中隊長として、
政府軍に従軍していましたが、
弟が戦死した植木で4月6日に戦死しています。
とりあえず今回の南洲墓地の紹介は、
これにて終了致しますが、
いつかまた来たいと思います。
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