養源寺にある椎谷藩堀家の墓所。
藩祖(初代当主)堀直之は大坂の陣で活躍し、
薄田兼相を討ち取る等の戦功を挙げ、
武蔵国八幡山に1000石を給され、
後に椎谷に5000石で加増転封されました。
寛永8年(1631)には江戸北町奉行となり、… 続きを読む
東京都文京区 養源寺/椎谷藩堀家墓所
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養源寺にある椎谷藩堀家の墓所。
藩祖(初代当主)堀直之は大坂の陣で活躍し、
薄田兼相を討ち取る等の戦功を挙げ、
武蔵国八幡山に1000石を給され、
後に椎谷に5000石で加増転封されました。
寛永8年(1631)には江戸北町奉行となり、… 続きを読む
椎谷宿は北陸街道の宿場町。
支配する椎谷藩の陣屋が置かれましたが、
椎谷藩は小藩で定府大名の為、
在郷藩士の数も少なかったようです。
「椎谷宿(現地東屋の古地図より)」。
街道沿いの宿場町を見下ろすように、
椎谷藩の陣屋が建てられていました。
「椎谷宿」。
街道沿いの家々は更新されていますが、… 続きを読む
椎谷藩は堀直政の四男堀直之を藩祖とし、
次代の堀直景が1万石に加増され、
諸候に列した事に始まります。
直景は苅谷に陣屋を置いて苅谷藩を立藩。
後に子の堀直良が八幡に藩庁を移した後、
更に次代堀直宥が越後国刈羽郡に転封され、
椎谷に陣屋を置いて椎谷藩となりました。… 続きを読む