「会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか」星 亮一

出張の帰りの新幹線も、軽く読書。
駅の書店ってマニアックなものは少ないですね。

ちょっとさがして、見つけたこの本。ちょっと読んでみますか。

まずは、会津と長州はこんな国であると説明。
物事の流れは、江戸時代はじめまでさかのぼります。
会津は死んでも徳川に忠誠を尽くすこと。
長州は関ヶ原の恨みをずっと持ち続けたこと。
両藩の成り立ちから、幕末の会津VS長州の何度かの因縁を解説してます。

そして、会津VS長州の勝敗ですが、
・八月十八日の政変 会津勝利
・池田屋事件 会津勝利
・禁門の変  会津勝利
・薩長同盟 長州勝利
・大政奉還~王政復古 長州勝利
・会津戦争 引き分け
となってます。
会津の3勝2敗1引き分けということですが、
これは、会津側から会津の勝ちだよ!と言ってるのではなく、
こういう流れがあった事実を、長州嫌いの会津の人たちに言ってるように聞こえます。
また、会津戦争に長州兵がいなかったという事実も、
調べればわかることなのにって思いますね。

星は会津と長州の和解を目指していますが、
僕は良い感じに敵対する会津若松市と萩市になればいいんじゃないかなと思います。
毎年、騎馬戦とかなにかで、勝負するんです。
今年は萩に負けんぞ!とか、会津には負けられん!とか言って・・。
そういう交流の仕方もあるんじゃないかと思いますね。

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