岡山藩家老家の建部池田家は、
伊勢赤堀城城主森寺秀勝が池田恒興に仕え、
池田家の家老となった事に始まる家系。
2代森寺忠勝が継嗣なく死去した為、
恒興の次男池田長吉の次男森寺長定及び、
三男森寺長政がその家督を相続し、
後に長政が池田姓に戻しています。
備前国建部周辺1万4000石を領した為、
建部池田家と呼ばれました。
建部池田家の菩提寺は建部の金輪寺とされ、
墓所も建部にあるようですが、
岡山市営の巨大墓地である東山墓地にも、
建部池田家の墓所があります。
「建部池田家墓所」。
狭い墓域に並べられた墓石群。
市内の國清寺から改葬されたようですが、
詳細は不明です。
「體玄院前刑部侍郎透開關全達居士」。
建部池田家7代当主池田太寅の墓。
6代池田宗春の嫡男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続しますが、
当時4歳と幼少であった為、
分家の家老森寺庄右衛門が代行。
成人後は江戸家老を経て仕置家老となり、
これを16年務めていますが、
42歳で病死しています。
「寶信院殿前布護署機外領宗居士」。
建部池田家10代当主池田博教の墓。
9代池田博道の嫡男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しますが、
僅か3年で病死しています。
「龍松院殿前方護署禪海素濤居士(右)」、
「寒松院雪洞玄貞居士(左)」。
建部池田家11代当主池田方智の墓と、
8代当主池田俊清の長男池田勝敬の墓。
10代博教の庶長子として生まれ、
公式には9代弘道の末子とされましたが、
博教の急死に伴い中継ぎとして家督を相続。
博教の嫡子池田博忠の成長を待って、
家督を譲り隠居しています。
「玄乘院殿前刑部侍郎觀海慈航居士」。
建部池田家12代当主池田博忠の墓。
10代博教の嫡男として生まれ、
4歳で父が急死していますが、
幼少の為に叔父((異母兄)池田方智が、
中継ぎの当主として家督を相続。
成長後に家督を譲り受けて当主となり、
後に仕置家老となっています。
学問を好んで家臣教育を重視しており、
歌も詠える教養人であったという。
嘉永5年の児島洲開墾を担当し、
その功績で幕府の称賛を得ましたが、
安政元年に普請工事の代金を藩札で支払い、
その翌日に額面を1/10に下げた為に、
※安政の札潰れ。
職人らから非難を浴びたようです。
文久2年、死去。
他にも黒い墓石があり、
当主と思われるものもありますが、
墓碑銘は読めません。
國清寺は空襲で甚大な被害を受け、
墓地も相当の被害を受けたようで、
焼かれて黒くなったのかもしれません。
存在感ある層塔型の墓石。
いかにもな墓石なのですが被葬者不明。
こちらの二基も不明ですが、
当主と奥方の墓かもしれませんね。
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