田布施は宗家9代島津忠国の長男島津友久が、
相州島津家を興した地。
江戸時代には薩摩藩の直轄地となり、
地頭が派遣されて地頭仮屋が置かれました。
「田布施地頭仮屋跡(田布施小学校跡)」。
田布施地頭仮屋跡は田布施小学校… 続きを読む
鹿児島県南さつま市 田布施地頭仮屋跡
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田布施は宗家9代島津忠国の長男島津友久が、
相州島津家を興した地。
江戸時代には薩摩藩の直轄地となり、
地頭が派遣されて地頭仮屋が置かれました。
「田布施地頭仮屋跡(田布施小学校跡)」。
田布施地頭仮屋跡は田布施小学校… 続きを読む
阿多は元々阿多氏の所領でしたが、
相州島津家2代島津運久が奪い取り、
3代島津忠良が三州統一の足掛りとした地。
江戸期は薩摩藩の直轄地となり、
地頭仮屋が置かれました。
「阿多地頭仮屋跡… 続きを読む
坊泊郷は加世田郷から独立した郷で、
坊郷と泊郷の2つの郷が合併し、
坊泊郷となったようです。
坊津は古来より海外貿易の拠点でしたが、
唐船は全て長崎港に寄港するようになり、
海外貿易は表向き廃止。
しかし密かに密貿易… 続きを読む
坊津は古代から栄えた港で、
明から[日本三津]のひとつ称され、
大陸との貿易が行われた湊でした。
遣唐使船、遣明船の寄港地でもあった他、
倭寇の拠点にもなっており、
薩摩藩の密貿易の拠点にもなっています。
明の兵法書「武備志」でも主要港として、
安濃津… 続きを読む
山川湊は砂糖集積港及び琉球貿易港で、
古来より栄えた港町でしたが、
江戸時代には地頭が派遣されており、
行政を司る地頭仮屋が設置されていました。
「山川地頭仮屋跡」。
山川地頭仮屋跡は石塀… 続きを読む
正龍寺は指宿市山川にあった臨済宗寺院で、
廃仏毀釈で廃寺となっています。
薩南学派の学問寺として栄えていたようで、
近世日本朱子学の祖藤原惺窩が、
明への渡航をする際に正龍寺に滞在し、
所蔵されていた大学章句を読み、
渡航を中止したとされる程の寺院でした。
「旧正龍寺跡墓石群… 続きを読む
山川湾は古くからの港で、
砂嘴が形成された良港であり、
その形から鶴の港とも呼ばれたようで、
南蛮貿易の拠点となっていました。
朝鮮出兵では島津勢の拠点となり、
100余隻の軍船がここからを出航。
鎖国体制となって南蛮貿易が終了すると、
琉球貿易や… 続きを読む