下関戦争」タグアーカイブ

福岡県北九州市 仏水兵戦死者記念碑

壇ノ浦の対岸である門司和布刈は、
下関側に突き出すような形状になっており、
関門海峡が最も狭くなっている場所です。


早鞆の瀬戸周辺(門司側が和布刈)
最も狭くなっている場所ですので、
橋やトンネルが建設されている訳ですが、
それ以前から交通や戦略の要所でした。

源平頃には門司城が築城されており、
本州側への睨みを利かせています。
戦国時代には… 続きを読む

下関市南部町 本陣佐甲邸跡

赤間関宿には本陣が2つ定められ、
それぞれが西の本陣(佐甲家)
東の本陣(伊東家)と呼ばれていました。


本陣佐甲邸跡」。
西の本陣佐甲家の屋敷跡。
残念ながら跡地はマンションとなっており、
跡碑さえ設置されていません。
他の宿場町の本陣、脇本陣などの様に、
格式に違いがあるわけではなく、
東の本陣伊藤家と同格であったようです。… 続きを読む

下関市前田 前田台場跡

■2020/02/01 写真差し替え及び記事修正。


長州藩下関前田台場跡」。
前田台場攘夷戦に備えて築かれた台場で、
文久3年5月に海峡を渡る外国船を砲撃し、
6月に米仏海軍報復攻撃を受けています。


ベアトによる前田台場占領時の写真
6月1日の米艦… 続きを読む

下関市彦島 巌流島

巌流島に行きました。
地元では巌流島について、
何もないよ」と誰もが言います。
僕も小学生の頃に行ったことがありますが、
確かに何も無いただの小島で、
当時は釣人以外は行くことが無い島でした。
まあそれが大河ドラマ「武蔵」の影響で、
観光スポットのひとつとなります。
ですが何もないのは変わらないようで、
地元の人間は釣りをする人か、
何らかイベントがある場合以外は、
巌流島には行くことがありません。
親や兄弟、友達に、
巌流島にでも行こうかな?続きを読む

「フランス士官の下関海戦記」アルフレッド・ルサン

仏軍艦ラ・セミラミス号に搭乗し、
下関戦争に参加した仏士官の幕末史。
外国人から見た幕末の状況は、
日本の書物に馴れた幕末の状況とは一味違う。
幕府の役人に対しての不信感や、
対照的な武士階級以外の人々への好感

意外な事に欧米人は日本という国に対し、
紳士的に振舞っていた事もわかり、
当たり前ですが攘夷派の暗殺を恐れ、
日本国の政情に不安を抱いていたようです。
また英国公使館焼き討ち事件なんてのは、… 続きを読む