青森県つがる市 高山稲荷神社

仕事で2週間程津軽周辺に滞在。
津軽半島西岸は七里長浜という海岸が続き、
砂地防風林が続いています。


防風林が森の様に広がっており、
内陸には湖沼が数多く見受けられました。
海から吹く風によって運ばれた砂により、
水はけのよい地質のようで、
メロンやスイカなどの栽培が行われています。

この七里長浜の中央北寄りの高山の地に、
高山稲荷神社があります。

高山稲荷神社」。
この神社の創建には諸説あり、
鎌倉~室町時代の豪族安倍安東氏の創建とか、
赤穂事件により取り潰しとなった赤穂藩で、
その居城の赤穂城内に祀られた稲荷大神を、
元藩士寺坂三五郎が奉戴して鯵ヶ沢に移住。
その子孫が高山に祀れというお告げを聞き、
稲荷神社を創建したとか云われています。
※今回は幕末維新にはあまり関係ありません。


拝殿」。
お稲荷さんと親しまれる全国の稲荷神社は、
一般的にはキツネの神様として知られます。
とはいえ総本宮の伏見稲荷大社などでは、
キツネあくまで稲荷大明神神使であり、
女神ウカノミタマが主祭神とされています。
五穀豊穣の神ということで士民共に信仰され、
後には農業以外に、商業、工業、漁業、
家内安全、病気平癒、
道中守護、憑物落とし等、
色々な御利益があるとされて、
稲荷信仰は江戸時代に隆盛しました。

さて、ここに来たのはこれを見たかったから。

千本鳥居」。
この景色を一目見ようとやって来たわけです。
鳥居の数は他の稲荷には及びませんが、
美しい庭園に映える千本鳥居が絶景でした。
赤い橋も良いですね。

これを記事にしたかったので、
幕末維新に繋がる何かを探したのですが、
残念ながら全く思いつきませんでした。
とはいえ維新より少々後の明治22年に、
米貨物船チェスボロー号車力村沖で座礁。
大波に沈みゆく船を漁師達が発見し、
懸命な救出活動を行った事件があります。

23名の乗組員のうち19名は死亡しますが、
漁師達は破片にしがみついた2人を救出。
波間に浮いていた1人は若者が泳いで救出。
1人の乗組員は自力でたどりついたという。
そのうち1人は体か冷えきって衰弱しており、
これを見た村人の妻工藤はんは着物を脱ぎ、
自ら乗組員の冷えきった体を温めました。


チェスボロー号遭難慰霊碑」。
犠牲となった19人の乗組員の慰霊碑。
高山稲荷神社の手前にあります。
創建に諸説ある高山稲荷神社ですが、
工藤はんの息子が創建したともされています。
時期が遅いので信憑性は薄いですが、
現在の宮司はその子孫だという事ですので、
その事件の結果によって宮司に推されたとか、
合祀したとかなんらかあるのでしょう。
また足自慢の鳴海寅吉佐々木兵次郎が、
16里(約64km)離れた青森県庁まで走り、
この一大事を知らせました。

後にチェスボロー号の故郷メーン州バス市と、
旧車力村(現つがる市)では交流が行われ、
水泳大会チェスボローカップも、
毎年開催されているようです。

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