福岡県京都郡 島村志津摩終焉の地

島村志津摩は隠居後に京都で死去した」。
昔、これを何かの本でナナメ読みして、
島村志津摩は維新後に京都府に移住し、
そこで死去したとばかり思っていましたが、
これが全くの勘違いで京都府や京都市ではなく、
京都違いの福岡県京都郡でした。

おバカな間違いでお恥ずかしい限りですが、
実際に島村が隠棲したのは豊津藩領の二崎です。

京都郡苅田町二崎周辺(島村志津摩終焉の地の場所)
二先山の麓にある菅原神社用水池が目印。


島村志津摩終焉の地」。
小倉城自焼後に金辺峠に陣を張り、
長州勢を散々に苦しめた島村志津摩は、
戦後も引き続き家老として藩の立て直しに尽力し、
産業の振興、藩庁移転計画を推進し、
明治2年12月に役を辞してここに隠棲し、
廃藩置県後は私財を投じて炭鉱経営を行っています。
明治9年にここで死去し遺体は正装で納棺され、
背後の丘上に埋葬されたようですが、
その後の明治28年に福聚寺に改葬されました。
右上の桜は樹齢200年のヤマザクラで、
志津摩桜」と呼ばれているようです。

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福岡県北九州市 福聚寺(小倉藩小笠原家墓所)
 藩主家の菩提寺。島村の墓が改葬されています。
福岡県田川郡 御茶屋香春藩庁跡
 小倉城自焼後の仮藩庁。
福岡県田川郡 金辺峠(再訪)
 島村が陣を敷いて長州勢の対抗した場所。