福岡県田川郡 金辺峠(再訪)

小倉秋月を結ぶ香春街道の要衝の地である金辺峠
小倉藩は本拠地である小倉城を自焼させ、
金辺峠を最後の砦として長州勢に抵抗しており、
峠にはその指揮を執った島村志津摩の碑が建てられています。

この金辺峠には6年前に訪問済みですが、
その当時の写真がボケてて酷いものたったので、
※前回の記事はこちら
何かチャンスがあれば再訪したいと思っており、
今回のそのチャンスがありました。


廃棄された「旧金辺隊道」脇に看板が設置されています。
前回の訪問時はありませんでしたね。


前回の訪問時は砂利道でしたが、
道が舗装されて綺麗になっています。
登っていくと携帯電話の電波塔が2本も建てられており、
この鉄塔を建てる為に舗装されたようでした。


金辺峠」。
こちらは前回の訪問時とさして変化なし。
小倉藩は小倉城や諸屋敷を自焼させ田川郡に撤退。
御茶屋のある香春を本陣として防戦の構えをとります。
金辺峠は香春街道の要所であった為、
島村志津摩はここに陣を構えていますが、
ここが戦場となったわけではなく、
主戦場はここより北上した徳力高津尾あたりでした。


島村志津摩の碑」。
島村志津摩は10歳で家督を相続し、
20歳で家老に就任して藩政改革を行い、
早くから才知を藩中に知られていたという。
小倉戦争では一番手備士大将として先鋒となり、
小倉城自焼後も徹底抗戦を主張。
長州勢が金辺峠を見下ろす龍ヶ鼻まで侵攻すると、
藩内でも停戦への流れとなりますが、
島村はこれを良しとせずに役を辞しています。
後に乞われて再び家老となって藩の復興に尽力し、
明治2年に隠居して同9年に死去しました。


清水が湧き出ていたという場所。
現在は埋まってしまっています。
当時は街道を行きかう人々を癒していたのでしょう。

島村志津摩の碑の裏には、
金辺観音堂という古いお堂があったのですが、
前回も今回も行くのを忘れました。

以前に訪問した場所に久々に行ってみると、
色々と変わっていたりします。
今回のように舗装されて行きやすくなっていたり、
草が刈られて綺麗になっていたり・・。
こういうのも楽しいですね。

■関連記事■
福岡県田川郡 金辺峠
 前回訪問時の記事。
福岡県北九州市 福聚寺
 島村の墓は藩主菩提寺にあります。
福岡県北九州市 志津摩橋と中野橋
 島村の名が付けられた橋。
福岡県田川郡 香春藩(小倉戦争後の小倉藩)
 小倉城自焼後の仮藩庁。