群馬県前橋市 光厳寺(館林藩秋元家墓所)

光厳寺秋元長朝惣社に1万石を与えられ、
領内に秋元家菩提寺として創建したのが始まり。
境内には江戸期の建築物の多くが残っています。


楼門」。
文化年間(1804-1818)建築。
朱の唐破風が目を引く楼門
ここからは境内には入れません。


長屋門」。
天明5年(1785)建築の長屋門
楼門は閉じられておりこちらが入口です。
長屋門は文字通り両側が長屋となっている門で、
基本的には武家屋敷陣屋にある門。
武家屋敷の場合は門番中間の住居なのですが、
お寺は寺男修行僧が住んでいたのでしょうか?


本堂」。
文政3年(1820)の古い本堂なのですが、
奥の唐破風玄関が入口の方丈風の建物。
綺麗に整備されているようで、
古さは全く感じません。

他に薬医門もあって、
総社城の城門と推定されていますが、
うっかり写真を撮り忘れました。


秋元家御廟所」。
御廟所となっていますが位牌が安置され、
いわゆる位牌堂のようです。
楼門と同じく朱赤が美しい建物ですが、
あの楼門はこの御廟所の門だったようです。


志朝公碑」。
館林藩初代秋元志朝の顕彰碑。
初代とはいえ幕末の藩主です。
彼は徳山藩8代毛利広鎮の八男で、
山形藩3代秋元久朝の養子となって家督を相続。
※志朝の母は山形藩2代秋元永朝の娘。
禁門の変が起きると幕府から内通を疑われ、
強制隠居処分となっています。


濟川院殿従四位下拾遣補闕兼但州剌史喬知大居士」。
御廟所前にある秋元家4代秋元喬知の墓。
後記しますが秋元家墓所は宝塔山古墳にあり、
初代から11代までの墓が並んでいます。
そこにこの4代喬知の墓もあるのですが、
何故かここにも喬知の墓があります。

境内を出て光厳寺の前にある宝塔山古墳へ。

宝塔山古墳」。
群馬県最大級の方墳で7世紀末頃のもの。
なんとこの古墳頂上に秋元家墓所があります。
たぶん古墳とは知らずに良い山があるからと、
ここを墓所にしたのでしょう。


秋元氏歴代墓所」。
古墳の頂上にある秋元家の歴代墓所。
考えたらお墓の上にお墓がある事になり、
お墓 on the お墓なわけです。


江月院殿巨岳元譽大居士(中央)」、
照尊院殿道哲泰安大居士(左)」、
清巖院殿雲山元白大居士(右)」。
初代秋元長朝、2代秋元泰朝
3代秋元富朝の墓。
初代長朝は深谷上杉家の家臣でしたが、
小田原征伐深谷城に籠城して豊臣軍と戦い、
戦後は隠棲していましたが、
後に井伊直政の推挙で徳川家康に仕えました。
後に上杉家との交渉で功績を挙げ、
1万石に加増されて惣社藩を立藩しています。

2代泰朝は谷村藩に加増転封となり、
日光東照宮造営の総奉行などを務めました。

3代富朝は領内の田畑を守るために植林を行い、
これが現在の国有林諏訪森となっています。


濟川院殿従四位下拾遣補闕兼但州剌史喬知 淑霊(左)」、
化城院殿従四位下拾遣補闕兼但州剌史休弦凉朝大居士(右)」。
4代秋元喬知、7代秋元涼朝の墓。
4代喬知は先ほどの御廟所前にも墓があり、
幕政に参加して老中にまで出世し、
江戸城や将軍家ゆかりの寺院などの造営も担当。
元禄地震の復興にも功績があり、
6万石に加増されて川越藩に転封しています。

7代凉朝も幕政に参加して老中に昇進しますが、
田沼意次と対立して山形藩に転封となりました。


泰元院殿従五位下兼但州剌史智山義勇大居士(右)」、
誠心院殿従五位下兼越州剌史義由知貫大居士(左)」。
5代秋元喬房、6代秋元喬求の墓。
双方とも特筆する業績はありません。


大隆院殿従四位下太夫兼但州剌史慈寛永朝大居士(右)」、
享徳院殿五位下大膳亮哲明久朝大居士(左)」。
8代秋元永朝、9代秋元久朝の墓。
こちらも特筆する業績は見つかりませんが、
治世で何もないというのは悪い事ではないです。
山形藩は左遷藩としても知られていますが、
この山形藩に最も長く在封したのが秋元家。
4代78年間、秋元家は山形藩主でした。


従四位秋元志朝之墓」。
10代秋元志朝の墓。
前期しましたが徳山藩毛利家からの養子です。
弘化2年に館林藩に転封となっており、
岡谷瑳磨介を抜擢して藩政改革を進め、
藩士子弟の教育の為に造士書院を創立しました。
禁門の変が発生した為に嫌疑を掛けられ、
強制隠居処分となっています。


従四位秋元禮朝之墓」。
11代秋元礼朝の墓。
前藩主で養父の志朝が強制隠居となった為、
家督を継いで2代館林藩主となりました。
藩主を変えても館林藩には尊攘派藩士が多く、
早い段階で藩是を勤皇に統一。
戊辰戦争では1097名の藩兵を派遣しており、
39名の戦死者を出しています。
この功により館林藩は1万石加増。


秋元家墓所は宝塔山古墳の上。
もちろん古墳ですので石室があります。
秋元家墓所の入口とは反対側に入口があり、
石棺などが状態よく保存されていました。

古墳時代には詳しくありませんけれど、
こういう機会も無いので覗いてみましたが、
中々こういう藩主家墓所はありませんね。

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