京都府京都市 安祥院/梅田雲浜墓所

梅田雲浜安政の大獄の最初の犠牲者。
幕吏に捕らえられて江戸に護送され、
小倉藩預かりとなって藩邸の獄舎に収監。
取り調べでは何も口を割らず、
幕政の非を訴え続けたとされますが、
獄中において病死しました。
※死因は流行していたコレラとも、
 脚気を患ったともされますが、
 拷問死であったという説もあります。

遺体は海禅寺塔頭泊船軒に埋葬されますが、
※現在は海禅寺墓地にあります。
遺髪は姪の阿富安祥院に埋葬しており、
その遺髪墓が残されています。


安祥院」。
朱雀天皇創建の仁王護国院が始まりとされ、
以降は荒廃と復興を繰り返し、
享保10年(1725)に木食僧の養阿上人が、
安祥院として再興したとされています。
境内の地蔵堂霊元天皇の寄進で、
2.6mの金銅製の地蔵尊が安置されています。


雲濱先生之墓」。
本堂裏手の墓地にある梅田雲浜の遺髪墓。
雲浜は尊攘活動の他に商才があったようで、
長州藩への物産交易仲介で財を成しており、
長州産の四白(米・紙・塩・蝋)を京都へ、
上方の綿製品を長州へ輸出させ、
大きな利益を得ていたという。
この交渉の為に長州藩に赴いた際に、
吉田松陰に面会していたようですが、
松陰は商人まがいの雲浜の行動を嫌い、
後に取り調べで雲浜を非難しています。
しかしながら事を起こすには資金が必要で、
明治維新は商人達の多額の資金提供が、
その原動力の一部となっていますし、
松陰の非難は青臭い理想論だといえます。
とはいえ雲浜は大獄で死亡しており、
その資金は生かされませんでした。

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