海禅寺は浅草にある臨済宗妙心寺派の寺院。
寛永元年(1624)に妻恋に創建され、
振袖火事(1657)の後に現在に移転しました。
最盛期には塔頭40寺を抱え、
非常に大きな寺院であったようで、
徳島藩蜂須賀家の江戸墓所として庇護篤く、
阿波様寺と通称されていたという。
その他にも土浦藩土屋家、
小倉藩小笠原家及び小倉新田藩小笠原家、
大洲藩加藤家及び大洲新田藩加藤家、
三春藩秋田家等の大名や、
建部家、生駒家等の大身旗本の墓があり、
広い墓域があったようですが、
※双方後に高直しで大名に昇進。
これらの殆どは関東大震災後に改葬され、
現在の墓地はこじんまり整備されています。
「海禅寺」。
海禅寺は関東大震災で甚大な被害を受け、
東京大空襲では死者も出しており、
戦後に復興したようで、
その殆どが新しいもののようです。
墓所にある安政の大獄で獄死した二士の墓。
「勝倫齋俊巖義哲居士(右)」、
「養源院殿寶應宗真居士(左)」。
梅田雲浜と藤井尚弼の墓。
梅田雲浜は小浜藩の出身で、
尊皇攘夷運動の先鋒として活動し、
安政の大獄で摘発されています。
江戸の小倉藩邸で取り調べを受け、
拷問を受けていたようですが、
死因はコレラによるものでした。
※拷問死の可能性も。
遺体は海禅寺塔頭の泊船軒に仮埋葬され、
文久2年に現存の墓石が建立されています。
藤井尚弼は地下人の出身で、
雲浜同様に尊皇攘夷運動を行い、
多くの志士と交流していたようで、
捕縛されて雲浜同様小倉藩邸に送致され、
取り調べを受けました。
その獄中で脚気を患い獄死。
同じく泊船軒に仮埋葬され、
後に墓石が建てられたようです。
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・京都府京都市 安祥院/梅田雲浜墓所
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霊山護国神社に慰霊碑があります。